「住民にとって「快適な町」とは」
町を意識して住んでいる住民は意外と多いと考えられる。それは自分の生活にとって「生活の場」である町は欠かせない要素であり、また数少ない自分が自由に出来る時間を過ごす町では生活が快適であることが望まれているからであろう。
では人々の求める快適な生活とはなんであろうか。一般的に人々が快適さを感じる要因は2種類に分けることが出来る。ひとつは「家族生活を送る為に快適」であり、もうひとつは「社会生活を営む為に快適」であることである。
その為には社会インフラが整備され(道路、公共交通等)、社会生活上のルールが浸透し、公共サービスが充実している必要がある。これらの充実は意外と難しく、多くの住民は不満を内在させていると考えられる。
では今回は「社会生活を営む為に快適」について考察してみよう。ここで問題になるのは「快適さ」の判断基準である。
「快適さ」は個人の感性によって左右される指標であり、必ずしも社会全体の意向と個人の快適度が同じベクトルを向いているとは思えない。しかしこのベクトルを近い方向に向けることは出来る。それには住民の意識改革が必要となる。この点はGNHと同じである。何を優先させるかという点にかかってくる問題である。
例を挙げると「声の掛け合える距離感」という指標がある。これは非常に現代人にとっては難しいものがある。つまり「他者が自分の生活に干渉することを受け入れられるか」という問題にも繋がる行為である。これは対象者次第の側面が大きい。
つまりある特定の考えを持つ人たちには快適であっても、ある特定の人たちには不快なことかもしれない。しかしそう思ってしまうと全ての物事は進まなくなってしまう。この判断基準と成るのは、その地域の文化だと思う。その地域が従来持っていた文化に沿うものはその地域にとっても受け入れやすいものではないかと。
よってその地域の文化的な素地に即したものは「社会生活を営む為に快適」のベクトルを決める際の指標の一つとなりうると考える。筆者は思うに、それに即したものであれば多少は住民の不満はあれど、最終的に「社会生活を営む為に快適」であると判断できる項目はその実現に向かって努力すべき項目であると。
人は時間と共にその状況に慣れ、その状況を楽しもうとする意識を持っている。もちろんそういった意識が低い人も居ることは事実ではあるが、そういった人たちでも状況適応力はある。
その為に社会の快適さを追及するためにある程度の制限を設けることや自治体が一種の方向性を示し、住民に社会生活に対するビジョンを示すことはこれからの町つくりに非常に重要である。
文責 平山修一
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