? GNHの応用 - カルロス・ゴーン氏の企業運営とGNHの相似性 -


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カルロス・ゴーン氏の企業運営とGNHの相似性

 ここでは日産自動車を見事に再生させた経営者、カルロス・ゴーン氏の経営に対する考え方とGNH思想との相違点を、氏の発言を元に考察してみる。氏は多国籍企業での豊富な経営経験を元に今に至っているが、氏の多様な人種をまとめ、一定のビジネスの成果を出していく手法は、国際協力の分野でも見習う点が多い。

 GNH思想の基本は人と人との関係性の中で幸せを見出す事、言い換えれば相互依存状態に自分の幸せを感じることである。つまり個の幸せの追求を第一に考えるのではなくて、全体の幸せが個に帰すると考えることである。

 氏は優秀な経営者のみならず、優秀な社会学者でもあるように見受けられる。氏は「一種の企業社会文化を持っている日本では企業の生産活動は一種の社会の体をなしている場合が多い」との発言からも伺えるように、日本企業をひとつの社会もしくは共同体として捕らえている。
 つまり会社にとっての利益は社会にとっての利益とも言いかえられると。そして会社の存続は第一優先課題になる。会社のために血を流す(自己犠牲)行為は社会の存続の立場で考えると必要な行為であり、犠牲になった人も納得するのである。

 GNH思想では社会の幸せの為に自分がどのように行動を起こすかは非常に重要なポイントである。つまり「他人に認められる、他人に感謝される、その行為によって自分が他者に認められ感謝される」ことは最大の喜びであり、「幸せな状態」なのである。
 この利他的行為の評価は宗教による違いがあるように感じられるが、その宗教によっての「神との契約」の形態こそ違えど、社会に貢献するという使命は変わりないのではないかと感じる。そのこと事は宗教によっては、個にとっての最大限の幸せを感じる行為ともなりうる。

 では宗教の繋がりを持たない集団ではどのように意識を共有すればよいのであろうか。ゴーン氏はこのような発言もある。「共通の目的が欠如すると、セクショナリズムが横行する。必要なことはシンプルで明確な戦略(目標)の設定であり、それが組織のすべてのレベルで共有されなければならない」と。
 つまり集団自体が明確な共通の目的を持つことが、集団を規定する。宗教、民族を超えて共有できるものは機能的役割である。しかしその機能ばかりが特化して共通の目的を見失うときに、セクショナリズムが横行するのではないかと仮定できる。
 よって、共通の目的意識を持ち、自分がその集団で機能的な役割を持ち、またその行為が個人の創造行為や安心、安定という満足感を構成するものをもたらしてくれる時に人は社会や集団に対してモチベーションを感じるのではないか。
 またゴーン氏は「モチベーションを高めるには1.現場のニーズをきちんと把握し、コンセンサスを共有しているか。業務に対しての情報を正確に与えているか。2.現場の人々のアイデンティティを尊重しているか。3.現場の人々が責任を持ってやるべき事が明確になっているか」との発言も残している。この事からも集団と個の関係性を十分に把握していたと言えよう。
 氏の集団をまとめる方法論が成立するにはひとつの条件がある。それは「強い権限を備えたリーダーシップ」である。リーダーシップを発揮するには単にカリスマ性があるだけでは難しい。リーダーに権限が集中してこそ、強いリーダーシップが発揮できるのである。

 話は逸れるがこの「強い権限を備えたリーダーシップ」はファシズムを連想させるが、筆者が思うにファシズム下にあった人の多くは一瞬でもある種の「精神的に高揚し、満たされた状態」を感じていたのではないか。しかしながらファシズムと違う点は社会に属する人すべての個々のアイデンティティを尊重すると言う事である。

 個の安定の為に必要な条件は社会(会社)の安定である。その社会(会社)の安定の為に個は多少の制限や義務が生じても止むなしと考えるのではないかと仮定できる。このようにゴーン氏の経営手法と GNHには共通点があるように見受けられる。

 

文責 平山修一

注:青年海外協力隊情報誌「クロスロード 2003 年 1 月号」を一部参考

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