? GNHの応用 - GNHを中心とした町つくり その2 -


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GNHを中心とした町つくり その2

「貴方の住む町は安全ですか?」

 最近特に意識されるニーズのひとつに「安全・治安」が挙げられる。平和ぼけニッポンといっていた時代が懐かしいと思えるほど近年日本は場所によって治安が悪化している。しかも他国と違って安全でない場所が特定できないように感じる。

 筆者の子供の頃は比較的治安の悪い場所は特定されており「こんなところに子供が行くもんじゃあありません」と大人から良く聞かされたものである。事実駅前や工場の近くには大人の為の一杯飲み屋や娯楽施設があり、よく酔っ払った大人がけんかをしていたのを目撃した思い出がある。
 その治安が悪いといわれていた場所でも、一定のルールがありまたそのルールを取り仕切る大人がいたように記憶している。そのルールさえ守って遊んでいれば決してその場所は治安が悪いわけではなく、「楽しい」場所でさえあったともいえる。そして町がその機能上、必要としている場所でもあった。

 近年の地方都市再開発を見てみると、この「立ち入ると危険な治安の悪い」暗くてごみごみした場所を整地して新しくショッピングセンターにしたり、公園にしたり、公共施設にする事業が多いように感じる。
 こうして「明るく」、「ごみごみしていない」、「道幅の広い」快適な空間を大量に生産しているが、その反面治安が悪くなっているのは何故であろうか?それはルールの崩壊であり、ルールを取り仕切る「大人」が居なくなった事に原因があるのであろうか?また町から負のイメージを持った場所を取り除いたからであろうか?
 治安の悪い場所が特定できないことほど危険なことはない。アメリカのように治安が崩壊しているような国ならまだしも日本がそのような状態に陥ったのはやはり「社会のモラルの崩壊」が原因であろう。成人男性の権威の失墜や男女のジェンダー区別の撤廃などが微妙に関係しているのであろうか。

 現代はよりいろいろな意味で「画一化」が進んでいる時代だといえる。しかし悪く言えばなにが悪いのかの判断が難しく、また悪いことと悪くないこととの境界が見えにくい。「治安の悪い場所を復活させましょう」というのは本末転倒な話で非現実的な解決手段である。では何が治安改善のキーとなるのであろうか。
 場所こそ違えど、モンゴル国の教育カリキュラムでは 10 年間の授業の中で合計 172 時間もの「倫理・法律」の授業が追加された。この政策は近年悪化の一途を辿っている社会のモラルの向上を目的としているのである。モンゴル人教師いわくこの教育方針の改善は「治安改善の特効薬」であると言う。子供に教育したことは、徐々に大人にも浸透していくことは途上国での衛生条件改善の常套手段である。これは何も途上国に限ったことではないのではないか。
 今は安全を主体的に守る時代である。安全であることは現代社会において生活基盤を安定させる第一条件である。安全であることの要因のひとつは共通のモラルの元に社会生活を営むことである。そしてそのモラルはすべての階層において浸透し、守られるものである。そのモラルに沿って率先して大人が大人の対応を取ることが社会で求められているように感じる。

 多くの途上国ではそのモラルは宗教に由来している。しかし、日本では宗教というより「教育」によって人々の高いモラルを維持していたように思える。仏教を哲学として生活に応用していたのではないであろうか?
 新しく町つくりを進めるにあたっては、真剣に大人が「安全で幸せに暮せること」を議論し、共通の「モラル」を模索し、自ら住む町に対して何らかの行動を示すときではないでしょうか。 GNH はその新たなるモラルの有り様を示しているかのようである。

 

文責 平山修一

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