? GNHの応用 - GNHと戦後の平和復興 その2 -


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GNHと戦後の平和復興 その2

「民族紛争の根底にあるもの」

 ある人は社会体制に、ある人は経済活動上の成功に自分のより所を求めている。仮想敵を自分の中に作り、それを克服していく。。この行為はその「勝ち組」集団にとっては幸せな行為ではあるが、「負け組」にとっては幸せな行為とは言い難い。

 この社会集団なり宗教なり、国なりの「枠」の中での幸せを追求する行為は、おのずと不幸を生産していく行為に繋がる危険性がある。こうして民族紛争などは自身の正当性を主張すればするほど不幸な結果となる。
 時代は移り変わるものである。そのある時点で認められていた権利は突然剥奪され、それが違う民族に移行することはよくある話である。数世紀後に各民族がそのある時点で認められていた権利を主張しても、他民族も同様の権利を一定期間保持していたとしたら、それはトラブルの元となる。
 その民族にとっては正義であることが、他の民族の生存や権利を侵す、、歴史はこのことの繰り返しである。大国によって認められた条約や宗教上の聖地は「民族意識の高揚」に大きく寄与する。

 近隣国同士は仲が悪いのは国際関係の常識とも言われている。国境を接するからこそ様々な問題がある。それは民族間にも言える事であり混在する民族は様々な国家的利益の民族配分のバランスが崩れると衝突する。
 民族は大きく分けて「土地に縛られている民族」と「土地に縛られない民族」に分けられるのではないかと筆者は考えている。土地に縛られている民族はその領土や所有に対して敏感であり、土地に縛られない民族はそのイデオロギーや宗教に対して敏感な傾向を持つともいえる。
 この民族の傾向を見誤って、民族の移動(元々ある生活領域)に制限をかけたり、国家に対して忠誠を求めたりすると、そのこと自体が集団に対する圧力となり、反発を呼ぶ。そしてその反発は政府の主権を握る民族に向かうのである。しかし、制限がかかった状態はある意味統制の取れている状態であるとも見受けられるが、その不満を熟成させ、より確固としたものにする時間であるといえる。
 そのため国家はその民族間の摩擦を外に向けさせる努力をするのである。いわゆるスケープゴートを作り、国内の統制を保とうとする。

 このように民族問題は一見解決不可能な問題にも見える。しかし、実際は個と個のレベルではあまり民族は気にしない。しかし、一旦相手に対して「あの民族は昔から~だから」とレッテルを貼ることによって、その憎しみの対象は個人から集団へと移行するのである。この点をうまく扇動する人間がリーダーになるとその集団は凶暴化する。
 こうしたリーダーが出現しないように社会や国家がセーフガイドを張る必要がある。これは何も昔の話ではない。現代にも通じる話である。

 

文責 平山修一

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