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里帰りしたヒマラヤ桜

2015年03月15日

里帰りしたヒマラヤ桜

Picture 「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」の歌は、江戸時代の国学者の本居宣長(もとおりのりなが)の心を詠ったものとして良く知られています。当人の解説では「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」と言われています。その様な大和心に例えられた桜の苗木をこの度ブータン王立大学の構内に植樹しました。右の写真は、最初の記念樹を王立大学のNidup Dorji副学長(Vice Chancellor)が選定しているところです。

 日本技術史教育学会とブータン王立大学(RUB)が共催で、2014年8月21、22日に首都ティンプーで2014年度ブータン国際会議(ICESTEH 2014)を開催しました。それを記念し、開会式の式場で、下の写真にある紅華と舞姫の2種類の桜の苗木の贈呈目録を王立大学にお渡ししました。その目録に従い2015年2月11、12日の両日、ティンプーの王立大学構内で植樹式を開催し、合計50本の内の23本をRUB構内に植樹しました。残りの27本はパロ、デワタン、タシガンの各カレッジの構内や農業機械センター等に分散して植樹されました。

 本事業は両国間の尚一層の結びつきを図る目的と同時に、「桜の里帰り」を図る意図もありました。
Picture舞姫 (Prunus “Maihime”)  山桜のオリジナルはブータンのあるヒマラヤから来たという思いです。5000kmも離れた日本迄、悠久の旅を続けた桜が、その後日本人の心をとらえ、長い時間をかけて美しく変化しました。その桜を、日本人の心と一緒に里帰りをさせる事業です。今回は新宿御苑で桜の維持管理をされているグリーンアカデミークラブの植栽の専門家の支援を得て植樹されました。この桜の苗木の贈呈を発案された方は、東京日本花の会の代表理事の溝口冨美子様です。ブータンでは溝口冨美子様と共にこの事業は末永く記憶されると思います。

 東京農業大学短期大学教授の染郷正孝著『桜の来た道』では、桜を通したブータンと日本の繋がりを以下のように述べています。
 「日本のサクラは間違いなく春に咲くものです。しかし、遠い昔、秋に咲いた先祖の性質が花の時期を間違えたように、突然ある枝の一部に、秋咲の性の遺伝子が表に現れたものと思われます。サクラはもともとネパールやブータン地方を原点として、北上進化する過程で少しずつ変化し、特に四季の変化のはっきりした日本列島ではいろいろなサクラに分化した。つまり秋に咲く性質を「休眠」と言う性質に変えて、適応し生きのびて来たものと考えられます。先祖返りを起こし秋に咲くサクラの枝変りを育種家が接木で増やし今日に伝えられたものと考えられます。」(P22~33)

桜の花はデリケートで取扱いが難しい
 美しいものには虫がつきやすいと言いますが、桜もその例外に漏れず虫がつきやすく、苗木の肌も赤子の皮膚と同じで柔らかくて弱く、取扱いに神経を使います。5000㎞の長旅の後の植樹は勿論その後も苦労が絶えません。移植に適した時期は葉の落ちた桜の木の冬眠時期に行う必要から、毎年12月から翌年の1,2月が適齢時期になります。この度の桜の植樹はそれにならって実施されました。

文責 白井 一

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