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雨に思う

2014年11月15日

雨に思う

 最近、日本の雨の降り方が大きく変わったと実感する人が増えています。「夕立だからすぐ止むよ」、「雨くらい傘を差せば歩けるよ」といった会話は近年聞かれなくなりました。実際一部の雨の降り方は東南アジアの国を想起させることもあります。
 気象庁の観測によると、国内51か所の基準値は1981?2010年の30年平均降水量と比べると2010年~2012年は平均より1.9倍の降水量があったそうです。しかし2013年はあまり平均とは変わらなく、一概に降水量自体が増えているとは限りません。
 では台風はどうでしょう。国立情報学研究所によれば「昭和の三大台風」に匹敵するほど強大な台風は、1961年の第二室戸台風を最後に40年以上の間、沖縄などの離島を除けば日本列島には接近していないそうです。ちなみに先日の台風19号はスーパー台風と言われましたが、日本に接近した時にはスーパー台風ではなくなっていたそうです。
 では雨の振り方はどうなのでしょう。こちらは全般的な傾向として雨が降らないときはより降らなくなり、降るときはまとまって短時間に集中的に降る雨が多くなっているという感覚は多くの人にあるでしょう。これが多くの問題を引き起こしている原因だと推測できます。

 日本は近年、雨や台風などの自然災害に強くなったと言われてきましたが、今年の被災状況を見ると明らかにそうとは言い切れないでしょう。それは様々な雨に対する備えや考え方が従来の常識を超えたものが局地的に発生しているからと私は推測しています。
 しかしこれらに対応すべく設計されている土木設備や建築物は【従来(ここ100年程度の)の常識や経験】に基づいて設計施工されています。つまり設計する技術者の【想定外】には対応できないのです。
 私たちはもっと地名や旧跡に残された先人の知恵や経験を技術者や政策を決める人たちの【想定】に加えて検討すべきではないでしょうか。技術に文化や経験などの先人の智慧をフィードバックするシステムが何故できないのでしょうか。
 また従来雨水を溜めてきた自然のダムである日本の森林の保水力は年々落ちていると言います。その原因は【手入れ不足】にあります。間伐、下草狩りなどの手入れは利益を産まないとされる山林には【無駄なコスト】として投資されなくなっています。こうした災害を引き起こす二次的な要因に対する対応も考え直す必要があるでしょう。

 五月雨、村雨、霧雨、氷雨、神立、銀竹、狐の嫁入り、桜ちらしなど古来日本には多くの雨を表現する言葉があります。雨を敬い、雨を恐れ、雨とうまく付き合ってきた日本人の感性と叡智がこれらの言葉にあります。
 私たちは本来雨とはうまく付きあえる能力を持っています。自然の変化に耳を傾け、先人の知恵に学び、それと上手に付き合って自身の生活をどう再設計するか。これが私たちの考え方や行動様式、ひいては地域を守る地方自治体に求められているように思います。

文責 平山修一

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