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問題は排除すれば解決するのだろうか?

2014年10月29日

問題は排除すれば解決するのだろうか?

 NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」を見ていて、今晩のテーマ「子どもって迷惑?」はどこかで見たか、聞いた覚えのある内容でした。確かどこぞやの自治体が「子供の声は公害ではありません」と条例に明記したのを覚えています。
 私自身が人一倍子供好きだからかもしれませんが、街中、住宅街、電車の中で聞く子供の声は、騒がしくはあっても、うるさいとは思えません。むしろ子供の声を聞くと、日頃の嫌な事、つらい事を一時忘れて、何か心からホッとさせてくれる力を持っていると思っています。
 もちろん世の中は私の様な人ばかりではない事は当然で、中には子供嫌いの方も入れば、体調が悪かったり、静かな一時を過ごしたいと思う人も居ると思います。しかし、「子供」という存在は単に賑やかなだけの存在でしょうか?

 2年前に亡くなった祖母は、最期は歩く事もままならず、車いすでの移動となっていました。外出の機会は自ずと減り、いつの間にか表情が乏しくなってしまっていました。そんな貴重な外出時、子供達の声を聞いた時の祖母の表情は、孫である私が訪ねて行った時の表情とは比べ物にならないくらいの豊かな表情をしていました。また、自身のハッキリとした意志を持って、子供達の行方を目で追っているのも印象的でした。何かその時の祖母は、魔法に掛かったかの様な状態でした。

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  「うるさい」というだけで、子供達をどこかへ押しやってしまえば、それでいいのでしょうか?かつて私自身が小さかった時に、近所に口うるさいおじさん、おばさん、怖いおじいさん、おばあさんも居ました。様々な世代の人達が共存しているからこそ、多くを学び、社会の仕組みを感じてきたのだと思います。排除する事で、目の前の問題は解決できるかもしれませんが、それ以上に多くの物を失う様な気がしてなりません。
  問題は排除すれば解決するのではなく、解決策を模索する事で、解決へ至ると思います。時間は掛かれども、それが社会本来の姿ではないでしょうか。

文責 瀬畑陽介

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