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子どもの守り方
2014年07月15日 子どもの守り方
日本では子どもを巻き込んだ事件が後を絶たない。他人による犯罪だけでなく、実の親が子どもを置き去りにして餓死させることもあるという悲しい時代だ。保護者や学校が子どもたちを守るために神経質になるのは理解できる。しかし子どもの安全を考えるあまり、子ども達を囲い込み地域社会と切り離すことで逆にリスクを高めている気もする。日常は地域の大人たちの善意を拒絶しているくせに、いざことが起こると「声を出して周囲の大人に助けを求めましょう!」なんて、そんな理屈がうまく機能するわけがない。何しろ相手は善意も悪意もいっしょくたに切り捨てている集団なのだから関わるとロクなことはないと、母親に睨みつけられた善意のオバちゃんなどが考えたとしても仕方ない。結果、子どもが転んでも、さまよっていても、しばらく姿が見えなくても(実際はアパートの一室で虐待されていても)、反応しない無関心な社会が出来上がるわけだ。
この体験はその後、私の「おせっかい魂」の基盤になった。保護者や教師でなくとも我々大人には、善意と悪意を区別する能力のない子供たちに積極的に関わる義務がある。加えて保護者や学校という限定コミュニティの人々は、地域社会の大人を巻き込んだ安全対策を模索すべきだ。例えば子どもがいない家庭も学校の催しに招待するなど、子どもと地域の大人が知り合う機会を増やすべきだ。 「おせっかい」は社会を変える。まずは近所で通学の子供たちに「おはよう!」と声をかけることから始めよう。 文責 青木 薫 |
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