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お心肥やし

2013年10月15日

お心肥やし

日本の子供たちは塾に習い事にと本当に大変そうですね。朝も早くから決められた通学路を寄り道もせず(できず)に学校に行く。暇があればゲームにTV、「勉強することがあなたの仕事なんだから」と言われている父兄も多いかと思います。

 今の子供はなかなか外で遊ぶ機会がないと思います。積極的に親が関わって子供が身体を使って遊ぶ機会を作ってあげないと、子供が運動不足になりそうですね。子どもの頃に見聞きし、体感した感性は一生の宝物になるでしょう。だからこそ子供の頃に目いっぱい遊ぶことも大事だと思います。

 場所は変わってとある南アジアの国。その国は日本と比べると教育程度も低く、外国の援助に頼らないと国が成り立たないほど貧しい国です。その国が東日本大地震の被災者追悼のため国を挙げて喪に服しました。

 その事は日本のマスコミにも取り上げられることもなく、粛々と行われました。国の代表者をはじめ、一般の国民の多くも犠牲者に祈りを捧げました。こうした気持ちは経済的に豊かかどうかという事はさておき、人として立派な行為だと思います。

 江戸時代の日本では「お心肥やし」といって学問より心を肥やす(育てる)訓練を子供たちにしたそうです。江戸時代といえば寺子屋制度。身分の隔てなく識字教育が行われたことが注目されますが、それだけではなく、礼儀や道理、人としてどうあるべきかを教える事も寺子屋の重要な役割でした。

 また江戸では子どもは寺子屋の帰りは寄り道してお寺で遊んだり、川や森で遊んだりと寄り道をして、自分の住む場所を五感で感じていったのです。こうして子供たちは自分のペースで心の中にひとつの核になるものを育んでいったのでしょう。

 子供が遊んでいると、つい勉強しなさいと言いがちですが、勉強だけできる人を育てていいのかと思うこともあります。よく考えれば自分だって子供の頃、何時間も勉強するのは辛かったと思います。「勉強大変だね…」素直にその気持ちを子供に伝えることが子供の心を育てる行為かもしれません。心が育たないと幸福を感じられない不幸せな子供になってしまいそうです。それこそ人として一番大事な行為では、と思ったりしています。

文責 平山修一

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