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ブータンで感じた「受け取る」こと
2013年01月28日 ブータンで感じた「受け取る」こと
ブータンでは医療費、教育費が無料である。子どもから大人までたちは何かあると無料である病院にすぐに頼る。 何かを学ぶワークショップに参加する際は、自分でお金を払うことはなく逆に学びながらお金をもらえる仕組みになっている。私の周りの同僚たちは海外で大学院やドクターコースで学びたいと言う目標をもっているのだが、自分のお金を出して学ぶという意識はない。海外のスポンサーが見つけられたとき、奨学金制度を得ることができたときに学びに行く。 ブータンは今も昔も多くの援助を海外の国から受けている。そのため、もらうことが当たり前の文化ができてしまっていると言える。公務員は特にそうだった。 ブータンで働き始めたころ、自分たちのお金では学ぼうとしない、いつももらうことを意識している彼らのスタイルに違和感を覚えた。 しかし、ブータンで暮らし彼らとの生活を送るなかで、その習慣は私たち援助する側の責任でもあることにも気がついた。そしてもらい慣れ文化はけして悪いものでないことだと思えるようになった。 それは、国際協力をしたい、貧しい国々の発展に貢献したいと思う組織は世界中にたくさんあるからだ。 普通の日本人的感覚であれば、人の力を借りず自分の足で立つこと、経済的にも自分で稼ぎ自立することが美徳とされる。 しかし、ブータンでは持っている人からもらうこと、人に頼ることは当たり前。ブータンの人たちは他国からの援助や贈り物、優しさを素直に受け取ることができる。 与えるほうの立場になったらどうだろうか。もらうことを拒み、遠慮をしている人。人の優しさを快く受け取りそれを使ってくれる人。私であれば後者のほうをサポートしたくなる。 ブータンは外交がうまく、隣国から世界の国々から好かれている。多くの国と友好な関係を気づいている。だから多くの国にブータンに協力したい、援助したいと思わせることができる。 私は援助を快く受け取ることも生き抜く知恵であると感じた。与える人たちは受け取る人の嬉しい姿を見ることが喜びである。快く受け取ることは与えることと同じように素晴らしいことだ。 受け取ることが非常にうまいブータン人の精神を私は尊敬している。 文責 元ブータン体育教師 関健作 |
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