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GNHでないUn-GNHのケース

2012年10月15日

GNHでないUn-GNHのケース

“100年に及ぶ植民地からの完全独立を果たした政府は、国際社会に向け非同盟・中立外交政策を表明。国内の右派左派を問わず諸政党を束ねつつ、仏教の公平な理念に基づいて民主化された王制を維持しながら、政府主導による計画経済政策をとることで国家の発展をおしすすめた。”

picture これは当時「東洋のパリ」と詠われた1950年代頃の “カンボジア”の政治状況です。GNHの国ブータンを彷彿させる幸福な国を連想させます。しかし時代は残酷にも、この国をアジア史上最悪の事態へと突き動かしました。60年代後半になると経済状況の悪化に加え、隣国のベトナム戦争へと巻き込まれ、遂には1975年、ポルポト率いる共産主義勢力クメール・ルージュの台頭に至ります。

 ポルポト政権下では、排外的な民族主義と、急進的な共産主義、農本主義に裏打ちされた急進的な政策が進められました。クメール・ルージュの政治思想以外の教育、私有財産、通貨、宗教、文化、伝統的社会規範のすべてが否定され、僧侶、教師、医者などの知識人全てが「革命に参加しなかった敵」として迫害を受けました。当時の人口およそ800万人のうち、100万人以上が死に追いやられたとされています。ポルポト政権は僅か4年で崩壊しましたが、その後もカンボジアの内戦状態は25年に渡り続きました。

 今世紀に入り、安定を取り戻した政権では、内戦が生み出した貧困削減策を目的とした(「GNH 4つの柱」を連想させる)「レクタンギュラー(四辺形)戦略」が発表されました。その内容は(1)農業セクターの強化(2)インフラの復興と建設(3)民間セクター開発と雇用創出(4)キャパシティービルディングと人材開発、の4分野の開発を四辺とし、囲まれた中には「グッドガバナンス」(汚職撤廃、司法・行政・軍の改革)が配されています。

 この計画戦略は、それ以前の幾つかの開発計画を基に主要な要素を抽出されて作られていますが、その中のひとつ「第一次カンボジア社会・経済計画」では(1)持続的な経済成長と公平な所得配分(2)社会開発の促進と文化の促進(3)持続的な天然資源管理と環境問題への対応、という目標が掲げられていました。「レクタンギュラー戦略」では、貧困削減のための経済復興に緊急性が求められていたためか、配分、文化、持続可能性といったキーワードは大きく反映されていません。開発戦略開始から10年が経過した今、カンボジアは東南アジアの中で最も政治治安が良い国と言われています。また経済成長は著しく2004年から2007年には毎年約10%の成長率がありました。しかし、その一方で、政府の汚職、貧富の差の拡大、国民のモラル低下、といった社会問題は拡大しています。

 専門家によれば、政治・経済権限が政権トップに集中するという、紛争後の社会に見られる体制が、未だ継続されている点や、長年に及ぶ内戦が、伝統的な社会規範や文化・宗教を柱とする寺院を中心とした村社会における連帯感と信頼が破壊された点、すなわち「社会資本」が消失された事、などを原因として挙げています。

 今回は、時代に翻弄されGNHでない事が起きた事例を紹介させていただきました。現在、私はそのカンボジアで、全国の地方で活躍するクルクメールと呼ばれる伝統医療師達と共に、GNH『4つの柱』を目標とした協会の活動を応援する事業に携わっています。今後その事例についてもHPのコラム等で紹介させて頂きたいと思います。

 

文責 高田忠典

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