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近代化とブータンの国民の幸福を考えた日本技術者の新しい視点:大学学術交流事始め

2012年10月15日

近代化とブータンの国民の幸福を考えた日本技術者の新しい視点
大学学術交流事始め

image 日本は1968年度にGNPが50兆円を突破しました。この時西独を抜いて世界2位の経済大国になりました。その後2011年までの42年間その地位にありましたが、昨年、中国にその地位を譲りました。2011年の名目GDP(GNPとほぼ同じ)は468兆円(実質GDP:506兆円)になりました。(実質GDP と名目GDTの違いは、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/650287.html参照。)
 当方は1969年3月に都内の工業大学の機械科を卒業しました。学生時代には「熊本水俣病」や、日本で最初の公害病といわれた、「イタイイタイ病」が明かになりました。イタイイタイ病は、岐阜県三井金属鉱業神岡事業所の「神岡鉱山」で、鉱山製錬に伴う未処理廃水を神通川に垂れ流したことが起因し、神通川下流地域の富山県で発生した鉱害です。加えて、新潟水俣病、四日市喘息の四大公害病や、新幹線の騒音公害が大きな社会問題になっていました。
 この時期の1970年5月の朝日新聞に「くたばれGNP」と銘打った記事が連載されました。「公害」、「環境破壊」、「サラリーマンの過労死」、「地方の過疎化」など、GNPの増大と高度経済成長に伴う負の面がニュースになり始めました。つまり日本の近代化や工業化の弊害に焦点が当たった時期です。この42年間に10倍に上る経済力の成長、つまりGNPの増大を続けた日本人は、物質的にも実際の生活面でも世界のトップレベルの豊かさを獲得しました。幸せ感については兎も角、同時にうつ病や身体に不安を感じる患者が増え、経済破綻者も含めた自殺者数が十数年にわたり3万人を超えるなど、我々の世代は、近代化の弊害をつぶさに見てきた最初の世代です。
 ブータンの第4代国王は1976年に、「ブータンではGNH(国民総幸福量)はGDP(国内総生産)より大切」と述べており、今日ではその慧眼に世界中が敬服しています。同じ様に日本の技術者の卵も1960年代に西欧型近代化の危機を感じ、1970年には「くたばれGNP」を読み、その行く末を模索しながら、日常的には公害などの多くの問題を技術力で解決してきました。
 2003年、その日本の技術屋である当方も、ブータンの第3次道路整備機材拡充計画のJICA調査員として当国の道路局を訪問し、ブータンの道路事情を調査することから技術支援が始まりました。国土交通省の開発途上国でのNPO、NGO活動支援計画の一環で5年にわたりブータンの道路整備支援を行い、結果として首都ティンプーの道路は見違えるほど立派になりました。その過程でブータンのGNH思想を身近に感じると同時に、それは「くたばれGNP」の考え方の先に続く、日本人の誰もが認める人類が生き延びるための思想だとの思いに至りました。日本の現場では概念としてのGNHはなかったとしても、それに似た理念は古くから共有していたように思います。一例が二宮尊徳の報徳思想の①至誠・②勤労・③分度・④推譲です(詳細:報徳思想/検索)。

ブータン王立大学と日本の工業大学の学術交流開始
 ご存じの様にブータンには一つの王立大学と称する本部があり、10のカレッジや大学で構成されています。しかし近代化を担う工業大学に学士を輩出する機械工学科がありません。機械工学科や新しい学科を創設するために、平成24年8月9日から18日まで、日本の工業大学の学長はじめとする学術交流調査団がブータンに入り、東ブータンのDewatangにあるJigme Namgyel PolytechnicとPhuentsholingの College of Science and Technologyで学術交流の具体策を話し合ってきました。
 幸い関係者間で学術交流開始の仮調印も済みました。間もなく、近代化を成し遂げ、世界に類を見ない発展を遂げた日本の工業大学と、「西欧化ではない近代化を目指したい」とするブータンの大学間で機械工学科を拡充し、機械工学士を送り出す学術交流が開始する運びです。ブータンの道路整備技術支援を進めてきたNPO法人国際建設機械専門家協議会は、本件ではその橋渡しをしております。

 

文責 GNH研究所会員、NPO法人国際建設機械専門家協議会代表理事 白井 一

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