<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

「 心の素朴な人がたくさんいる”という南村、バーンタオ村へ、ようこそ。」

2012年07月13日

「 心の素朴な人がたくさんいる”という南村、バーンタオ村へ、ようこそ。」

 六朝時代の中国の詩人・陶淵明に、こんな詩があります。『昔欲居南村 非為ト其宅 聞多素心人 楽興数晨夕』意訳をすると、「ここ南村に住みたいと思ったのは、方角を占ったからでなく、ここには心の素朴な人がたくさんいると聞いたから。そんな人たちと、朝夕ずっと一緒に居たいと思ったから・・・」という意味になるそうです。この句には続きがあって、「そうして、念願叶って、今日、越してきた。自分の住む家はそう広い必要はない。座れて寝れれば、それでよい。隣人たちがよく訪ねてきてくれて、いろんなことをよく語りあう。良い詩歌があれば、一緒に愛でる。知りたいことがあれば、共に学ぶ・・・・(原文省略。意訳)」
 こんな村がタイにあります。豊かな「自然」に囲まれた環境で、タイの「文化」に触れ、「仏法」を生活の旨とするタイの人たちと交流し、健常者も、障がいをお持ちの方も、健康とはどういうことか?幸福とはどういうことか?共に学び、共に五感で体験できる・・・そんな村がタイにあります。その村の名前は「バーンタオ村」。
 タイ語でバーンは家、タオは亀です。バーンタオで亀の家。スローライフ、長寿、人生の成功をイメージし、このように名づけられました・・・このように、今から3年後、2015年に皆さんにこの場で報告したいと思います。土地や建物といった目に見える場所は、まだありません。現在は上述したコンセプトに共感してくださった仲間、約60人が集い、村人としてバーチャルのコミュニティを形成しています。私が毎朝メールマガジンで活動報告を配信し、日本、タイ、世界各地に暮らす「村人」がフェースブックなどでつながっています。
 私自身は日頃、木炭を焼いて日本食料理屋に納めたり、障害をお持ちの方のタイでのリハビリ目的のロングステイのお手伝いをしています。時折、前回の当欄に登場した小田哲郎さんの活動の場所を訪ねる「足るを知る経済」を知る旅、バンコク近況で有機農法を実践する農場を訪ねる旅などを企画したりしています。ある日、「早く本当に目に見えるバーンタオ村を作らなくちゃイケナイ・・・」と焦る私に、バンコク在住の60代の女性の村人が、「もうすでにバーンタオ村はあるじゃない。私たち村人の心の中にはチャンとバーンタオ村は見えてますよ・・・」とおっしゃってくださいました。
 私達GNH研のHPには、冒頭、以下の問いかけがあります。「GNH理論を我々の実社会でどのように活かすか」「どうすれば幸福感あふれる社会で暮らすことが出来るか」そして「ブータンという枠に捕らわれず、そして具体的に」と・・・
 私は、GNH理論とタイの国王陛下が提唱された「足るを知る経済」はとても親和性が高いと考えています。まずは、バーンタオ村というコミュニティに向けて、上述したタイでの活動を「具体的」に紹介し、参加してもらい、「ライフスタイルの変容」を提言していくつもりです。
 ファーストフードで象徴されるように、早いこと、便利なことが良しとされているグローバリズムの時代に生きている私たち。ゆったりとした時間の流れるここタイ王国で、ウサギのように駈けつづけて来た今までの生き方を見直してみよう、人生をリセットしてみましょうと・・・。
 「<ゆっくり>は美しい スピードに象徴され、環境を破壊しつづける現代社会は、誰にとっても生きにくい。それとは異なるライフ・スタイルを求めて、さまざまな場所で模索し、考える人々の言葉に耳を澄ます。<遅さ>という大切なものを再発見する・・・。」(平凡社刊『スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化』から)
 そのような気づきのあるコミュニティを育て、いずれ、目に見える場所、「バーンタオ村」を創造したいと思っています。本書で紹介されていた詩をひとつ。『なぜわれわれは、じぶんのでない 人生を忙しく生きなければならないか?ゆっくりと生きなくてはいけない。 空が言った。 木が言った。 風も言った。』(長田弘「人生の短さとゆたかさ」より)
 心の素朴な人がたくさんいる”という南村、バーンタオ村へ、ようこそ。

 

文責 谷田貝 良成

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>