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変化の無い日常

2012年07月13日

変化の無い日常

 『家に帰るといつものように子供が騒いでいる。そしてこれを妻が大きな声で叱っていてね・・・こうした光景を見るとほっとするんだよ』筆者の尊敬する福島県在住の人がこのように言っていた事を思い出す。
 当時はこの意味するところが理解できず、変な事を言うものだと思った。しかし3.11以降、平凡な日常を過ごせること、今日もいつもの日常が肌で感じられることが以下に大事なことなのか身に染みて分かる。
 日常に変化が無く時間が過ぎていく事、イコール現状維持だと認識している。現状維持という言葉は成長が無いとネガティブに捉えられがちである。だが、現状維持をする事にどれだけ労力や資源がかかるのか、これらはあまり考慮されない。
 私たちは当たり前だと思っているものが実は多くの努力と多くの人のモラルによって支えられているという事をあまり認識していない。多くの公共交通機関などその極みである。また、毎日新鮮な食材が市場やコンビニで売られているのを私たちは当たり前のように思っている。
 日本が如何にすぐれているかは海外に出ると実感として分かる。公共交通を使って時間通りに物事を進ませるのは至難の業である。だから人々は自家用車を多用する、この方が確実だからだ。多くの途上国では公共交通は貧困層の生活の足であり、時間通りに来る来ないのレベルではなく、あるかないかの世界に存在している。
 また外からの見かけは変化がないようには見えても、その新陳代謝や改善は日々行われている。私たちの身体もそうであるかのように、一つのシステムはその維持の為には日々のメンテナンスは欠かせない。そういう地道な努力があってこそ社会インフラ基盤が安定できるのである。
 このように考えると一概に【変化が無い=改善されていない】とは同義ではない事が理解できる。この【変化が無いこと】をポジティブに捉える感覚が今の定常化社会に求められているものの一つであろう。

 

文責 平山修一

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