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ブータン赴任当時を思い出して ?GNH研ニュースレターより?

2012年04月01日

ブータン赴任当時を思い出して

ブータン王国(以下、ブータン)の報道が連日なされているであろう日本を思い浮かべて

 

 自分自身の国際協力のスタート地点であるブータンでの青年海外協力隊員(以下、協力隊員)当時を思い出してみた。初の途上国がブータンであった。恐らく全ての協力隊員派遣国では、新任の協力隊員向けに“現地訓練”というのを行っていると思う。ブータンでは
 1.政府主催オリエンテーション
 2.現地語訓練&ホームステイ
であった。

 

 ブータンへ派遣される協力隊員は一度に4?5人がいい所。しかし、私の同期は7人居て、通常お願いしているホームステイ先だけでは足らなかった為、普段はお願いしていないお宅へもお願いする事となった。そしてその日、くじ引きで行き先を決めてお世話になるお宅へと向かって歩いた。同期の中で、一番遠くの家までトコトコと。集落を外れてたどり着いた家は、お世辞にも裕福とは言えない家だった。4畳程の部屋が3つ連なった小さな家だった。

 picture外国から来たお客さんを精一杯もてなそうとするホストファミリー。私は客間へと通された。ブータンでは一般的に「客間=仏間」で、家の中で一番大切な部屋である。その部屋へ通されはしたものの、そういった事を知ったのは後の事。晩ご飯、その客間で一人運ばれて来た晩ご飯に手をつけた。お世辞にも立派な晩ご飯ではなかったが“お客さん扱い”は嫌だったので翌朝からは一緒にご飯を食べさせてもらうべくお願いをした。

 翌朝、私を待っていたのは大きな衝撃であった。昨晩、私が食べた晩ご飯はおかずが二品、それに目玉焼きと飲み物。それはお客さん向けのご馳走であった。他の家族が食べていたのは、ご飯とおかずが一品。それを4畳にも満たないであろう寝室兼リビングで家族5人が寄り添って食べていたのである。

 それまで知識として“途上国の貧しい家庭”というのは見ていたが、目の当たりにして大きな衝撃が襲って来た。「こんなにも貧しい家庭があるんだ」と。

 しかし、このホームステイ先に“貧しい”という悲壮感は無く、心は大変豊かであったと後になって思う。子供達の笑顔は絶えず、両親の表情も豊かであった。残念ながらホームステイ中はカルチャーショックの大きさに負けて、それらを感じる余裕すらなかった。

 「途上国の人達は、先進国の生活を知らないから、ああして笑顔で居られるんだよ」と言った声を聞いた事もある。しかし、このホームステイ先はブータンからタイのバンコクへと飛び立つ飛行機を毎日目の当たりにし、そして眼下には自分たちの家族達よりも遥かに立派な家、遥かに裕福な家庭が広がっている。しかし、それでも“自分たちは貧しい”という悲壮感は全く感じなかった。

 国レベルでもブータンは裕福な国とは言えない。ブータンが日本に対して行った義援金の金額を円換算したとき、他国のそれに比べると決して多くはないと思う。しかし、ブータンという国の経済力を考えたとき、義援金を行う決断は大変なものであると思う。更には義援金を決断した早さや、震災発生翌日には国王が自ら法要を行い、早急にブータンの在留邦人に声を掛けて、哀悼の意を表して下さった。こうした気持ちはブータンひいきの日本人でなくとも嬉しいと思う。

GNHという基本政策を掲げたブータン王国の政府、そしてブータン人から我々が学ぶべきモノは多いと思う。何が彼らの表情を豊かにしているのか?何が心の優しさを形成しているのか?ブータン王国発の思想【GNH】の研究を続けて、豊かな表情で、豊かな心を持ち続けて過ごせる様な社会作りに役立てたいと思う。

 

文責 瀬畑 陽介

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