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大洪水の中で思う「足るを知る」 ?GNH研ニュースレターより?

2012年04月01日

大洪水の中で思う「足るを知る」

 タイに暮らしている者としては、今回の洪水について触れざるをえない。このニュースレターがお手元に届くころにはバンコクの洪水騒ぎも収まっているだろうが、執筆の依頼を受けた時点では家族を連れてバンコクからタイ東北地方の街へと避難していた。タイの農村開発に係わり始めて約10年になるが、毎年のようにどこかで洪水か干ばつの被害は発生している。特に洪水の年は川に近い一部地域で被害があるものの、多くの場合は雨が十分降ったのでコメは豊作、洪水地区ですら田んぼにとっては養分の豊富な土壌が流れ込むため土が肥える、自然の魚が捕れるなど悪いことばかりではない。一方、干ばつは広い地域に被害をもたらし、工業地区でも水が足りないと大騒ぎになる。

 今回はいつもと違った。バンコクで洪水(ナム・トゥアム)と言えばスコールの後に道路が冠水してしばらく水が残ることであり、水量が増した川や運河が溢れることだった。しかし、今回は大量の水の塊が北部から水路や川を伝ってではなく平地をテーブルにコップの水をこぼしたかのように水が広がってアユタヤの工業団地を飲み込み、南下しバンコクにまで迫まった。政府・軍は工業団地を死守すると言ってしかし失敗し世界の自動車産業・電子機器産業を混乱に陥れ、バンコク都は首都を洪水に入れないと言いつつ政府の対策本部を置く北部のドンムアン空港も水没し、その映像は深刻さを世界に伝えた。

 バンコク中心地を守るためにバンコク北部、東部、西部は水没しまだそれは続いている。守られたバンコクの中心地にいる者として心を痛めると共に、何を守るべきかの優先順位は経済的価値だけで決めるべきなのか、犠牲にされる地域の人々との痛み分けはできないか等を考える日々が続く。日本政府の支援も復興段階に入り、日系企業が操業を再開できるように工業団地を中心に行われている。それはタイ経済にとっては非常に重要で多くの雇用を守るためにも大切なのだが、より広範囲に被害を受けた農村地域や農業についてはどうなのか?いつもの規模とははるかに異なる洪水被害にどう農村が立ち直っていくか、世界一のコメ輸出国の穀倉地帯の被害が世界に与える影響や、高齢化・後継者不足が現実として起こっている農村部の将来についても心配になる。

 タイのプミポン国王は「足るを知る経済」思想を提唱しているが、その柱の一つとして「自己免疫」という外部からのショックを緩和し回復するキャパシティが重要とされる。そこには、経済的発展を追い求めバブルがはじけたアジア通貨危機の反省があり、コントロールできない世界経済や天候異変のリスクが常にある現代社会の中でのリスクマネジメントとセーフティーネットの智恵がある。

 日本の震災・津波の際にみせてくれた他人を思いやるタイの人々の心の優しさ。この洪水でも、新たなボランティア精神の高揚が垣間見られる。洪水の危機にあっても笑顔を忘れず、その状況に対処していくアイデアが人々の中からも生まれている。「自己免疫力」・「災害につよい社会」は人々の中に見いだせるのではないだろうか。今年から始まる第11次経済社会開発5ヶ年計画では「グリーンで幸福な社会」を目指すタイ。洪水後のタイがどのような社会のビジョンを描き、対立を乗り越えて復興の道筋を描いていくのかを見守っていきたい。

 

文責 小田哲郎(おだ てつろう)

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