2012年05月02日
モラルとタブー
最近、AKB48が出演するお菓子のCMが話題になっている。その内容は女性同士がお菓子を口移しで移動させるというものだ。これには賛否両論があるが、話題になった事で菓子の宣伝効果としては大成功なのかもしれない。
以前、とんねるずというコメディアンが人気であった。彼らは今までのお笑いの常識である【自虐的なネタで笑いを取る】事をしなかった。彼等のひたすら弱者を痛めつけるような笑いのスタイルはそれなりには若者には受けたが、何か言い知れない違和感があった。
いわゆるボケと突っ込みの掛け合いを楽しむ漫才が一般的であった時代、ボケの役割の人は徹底的に馬鹿を演じた。観衆はその演目には引き込まれ、ボケの演技に魅了された。しかし、それは【その場】の事であって、本当にその人の事を馬鹿だと思う人は少なかった。こうした阿吽の約束事があって始めてボケの馬鹿さ加減を笑えたように思う。
私事だが、国際協力に従事する際には守秘義務規定というものがある。これは現地公務員として赴任国で勤務する際に知りえた重要な情報は開示しないというルールだ。現地では日本では知りえないようなことを知る機会も在る。しかしルールはルール、業務上の秘密は相手国との信頼関係に基づくもので立場上オープンには出来ない。
結果として現地での活動等をブログやソーシャルネットワーク上に書き込む際には当たり障りの無いものとなる。【彼は守秘義務を履行する】と公務員としてのモラルを相手国は信じてくれているのである。これを裏切るわけには行かない。
モラルとは何をしてはならない、何をすべきであるという社会的な規範である。これは今の社会を持続させる為に必要なものである。既存の常識や習慣が変化することは悪いことではない。物事は常に変わり行く存在である。しかし基本的に変化しない/してはいけない部分のモラルは共有すべきだと感じる。
AKB48のCMのような行為を公共の電波で流すことが本当に良いことなのだろうか。こうした社会モラルに関わる映像が【日常】に溢れることはすなわち私たちのモラル感が変化し、公私の区別がなくなりつつあることを物語っている。
表現の自由は尊重すべき大事な権利である。しかしこの権利をどう行使するかはモラルの問題である。社会のモラルは思ったより維持することは難しく脆いものであることを留意して経済偏重にならない選択を心がけたいものである。
文責 平山修一
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