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「死を意識して生きる」

2010年11月14日

「死を意識して生きる」

 私には恩師と呼べる人が居た。本人を目の前にして「貴方は恩師です」などと軽々しく呼べる訳では無く、どちらかと言うと会うといつも文句を言われる、頭が上がらない怖い存在であった。

 年に一度、恩師の家に菓子折りを持って出向き、恩師と向き合う時間は少し苦手であった。「何でお前は分かっていてやらねえんだ、成長がねえな」毎年のように恩師はいつも痛いところを突いてくる。
 苦言を浴びせられながら奥様の手料理をつまみ、苦手な酒に付き合い、ヘビースモーカーである恩師の吐き出す煙にむせ返る時間を過ごす。「お前なぁ、人間ってのは何を考えているのか分からないだろう?だったら相手が何を考えているかなんて悩むことは無駄だ」
 長年、大工の棟梁として一線で働いていた恩師は、口は悪いが、その人間観察力は非常にすぐれたものがあった。今でも恩師の一言、一文字は私の考え方になっている。
 そんな恩師の訃報を聞いたのはつい先日の事だった。肺がんが再発したとの事だった。「あんなにスパスパ煙草を吸っていたのに・・・」と不思議に思ったが、奥様より恩師は私が来る事を愉しみにしており、つい嬉しくて医者から止められているタバコや酒を飲んだらしい。そんな恩師の気持ちに全く気がつかなかった自分は・・・。

 人はどうしても楽な道を選ぼうとするらしい。自分にとって優しい人、文句を言わない人、笑顔の人に好意を抱き、そうでない人には態度すら硬化する。そうして逃げ回っていたらいつかそのつけは必ず自分に返ってくる。
 お礼を言いたい時には恩師はもう居ない。今になって思えば父親の居ない私にとって親代わりに叱咤激励してくれた貴重な存在であった。誰しも苦言を言われるのは嫌な事だ。しかし今の年齢になるとその有り難さが身に染みてよくわかる。誰も苦言を言ってくれないのだから。

 「もし今日が貴方にとって最後の一日だとしたら、貴方は身近な人にどう接しますか」インターネットのウエブサイトでこのような動画のアクセス数が急激に増えていると聞く。そんな事は考えたくも無いという人も多いだろうが、こうして死と向き合うことで今の時間に対する考え方が代わるのである。
 昔の武士は常に死を意識していたと言う。まさにいつどうなるか分からない時代だったからこそ、死は身近なものだったのだろう。
 後悔が無い様に一日一日を精一杯生きる。今日無事に寝ることが出来る、たったそれだけのことに感謝できる。そういった人として基本的なことを意識するだけで、自分の振る舞いや行動も自ずと変わるのではなかろうか。

 

文責 平山修一

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