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「書を捨てよ、海へ行こう」

2010年10月11日

「書を捨てよ、海へ行こう」

 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が名古屋で開催されている。声高に生物多様性の保全が叫ばれているが、いったいどれだけの人がこうした環境問題を“私事”として捉えられているのだろうか? 住んでいる場所の近くに原子力発電所があるとか干拓事業が進められているなど、大きな問題が身近にある人々はもちろん当事者意識を持っているだろう。しかし、東京23区など都市部に住む人々の一般的な感覚だと、環境問題がニュースで報道されてもなかなか身近に感じることはできないのが現実ではないだろうか? 正直に言えば、筆者もつい最近まではそうだった。だが、ある出来事がきっかけでその感覚に変化があった。本稿ではその視点の変化と、そこから見出された筆者なりの環境保護のあり方について述べる。

 それは湘南の片瀬江ノ島でサーフィンを楽しんでいるときだった。前日の強い雨が一転、気持ちよく晴れた絶好のサーフィン日和。ぷかぷか浮かびながら美しく均整の取れた富士山を眺め、早朝から幸せな気持ちだった。
どれぐらい時間が経ったころだろうか。ふと気が付くと、海水が酷く汚れている。たくさんのお菓子のゴミや油膜が沖から流されてきたのだ。湘南の海自体が元々綺麗な海とはいえないが、そのときの汚れは特に酷く健康面からもこの汚い海に入っているのはよくないと感じる程だった。

 この体験を目の当たりにして、「ゴミが最後に行き着くのは母なる海」という常套句が不思議なほど腹に落ち、自分と環境問題とがしっかりと“繋がった”気がした。これまでも自然の恵みのありがたさは感じていた。また、環境保護の大切さは知識として認識していたし、自分のできる範囲で活動にも参加していた。ただ、どこか主体的に活動に参加しきれない自分がいるのも確かだった。温暖化など大きな問題になればなるほど、問題と自分との間に多くの事象が存在するため、なかなか私事として認識しづらくなってしまう。少なくとも自分はそうだった。

 もし筆者みたいに、自然環境を保護する大切さを感じながらも、どこか自分の生活との間に“距離”を感じてしまう人は、一度、海や山で自然のレジャーを楽しんでみてはどうだろうか? そこでは、ニュースや書籍からだけでは感じることのできない、小さな問題を目の当たりにする機会があると思う。そして、その問題の原因となっているのは企業活動だけではなく、実は私達の行動が少なからず影響しているということも感じられると思う。(実際、筆者が湘南で見つけたゴミの大半は、お菓子の容器などのプラスチックや包装フィルムといった日常で消費している中で出るゴミだった。)

 プロサーファーの真木勇人さんは、海でサーフィンを楽しんだ後、浜を戻る間に見つけたごみは、片手で拾える範囲で持ち帰るというルールを自らに課している。(注1)
 片手で拾える範囲なので、拾える量がそんなに多いわけではない。だが、もしサーファーの一人ひとりが真木さんと同じ行動を起こしたらどうなるだろうか? 毎年わざわざビーチクリーン大会を開かなくても、一年中綺麗な海が保たれることになるかもしれない。

 大きな問題の前で一人の人間ができることなど、たかが知れている。だが、何かを始めなければ何も変わらないのも事実である。知識の詰め込みで頭でっかちになり、なかなか実践を伴わないのであれば、まずはサーフィンなど自然と共に楽しむ趣味から始め、私事として問題に取り組める範囲から、自分なりの実践を始めてみるのはどうだろうか。

 

文責 斉藤光弘

(注1:TBS「私の10のルール」真木勇人、2009年7月1日放送)

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