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GNHについて

 Are you happy? 幸せとはなにか?人生の命題ともいえる重い言葉である。このことを真剣に考えて国の政策にしようとしている国がある。それがブータン王国である。
 個人の幸せは単純な公式で諮れないのは自明の理である。それを国家の政策にするのには無理がある。ブータン王国の政策GNH(Gross National Happiness)、日本語では国民総幸福と翻訳されることの多い公共政策は、国民が幸福を感じつつ生活が出来る事を目標としている。
 GNHを簡単に表現すると「国民が日常幸福を実感できるために国が行う環境整備のための政策」であるとKuenselの社主キンレイ・ドルジ氏は言う。つまり個人が幸福を実感できるために国は自然環境の保護や文化伝統の保護、持続可能な経済発展、公平感を享受できる行政体制、幸福を感じることのできる心の教育を提供しましょうというものである。
 個人の幸福感は個人差が大きく、決して定量化できるものではない。しかしながらその根源的なものは共通の方向性を持っているのではないか。つまり個人が幸せを感じるかどうかはその個人次第であると規定している。 p>

 基本的な動物としての欲求、つまり生命の危機を感じないこと、群れ(社会)に共通のルールがあり、それを守る限りその群れに属することができること、などがあげられる。
 また人間として社会とのかかわりや精神性を高めるなど多くの他の要素があるものの、これらは人種を超えて人間にとって共通の欲求であろう。

 第4回GNH国際会議において首相のジグミ・ティンレイはキーワードとして「信頼」をあげている。これは政府への信頼、社会への信頼、家族への信頼など多くの信頼関係、この関係性こそが幸福感の基礎であると考えているからであろう。
 「GNHなんて金持ちや一部の人間の為の言葉だ。決してブータン国民は幸せだと思っていない」町ではこのような批判の言葉も耳にすることがある。確かにこの数年の生活物資や賃貸住宅の賃料の急騰は庶民の生活を圧迫し、一部の富裕層を作り出した。
 個人レベルで幸せを感じられない事は多い。しかし、GNHは地域発展の一手法である。内的社会(精神や価値観)の共有により外的社会の安定をもたらすという方法論であり、内発的発展論である。あくまでも個人の欲求を満たすという意味合いの幸福の増大を第一目的とはしていない。この点が多くのブータン人が正確に理解していない点である。

 GNHについて多くの外国人が様々な提案をしている。しかし筆者は一般化を目指さない姿勢、つまりブータンらしさを求め、諸外国で通用する理論にする必要はないのではないかと考えている。日本でも地元学という考え方が起こりつつある。教育もそうだが個別の生きる為の地域性、この視点においてGNHには意味があると思われる。

 

文責 平山修一

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