<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

ネットカフェ難民

 最近の厚生労働省の調査ではインターネットカフェを主な寝床としている人が全国で約5400人いるそうである。筆者にはインターネットカフェ自体に宿泊するという発想が無かったが、住所を持たず、インターネットで日払いの仕事を探し、その日暮の人が居る事に驚いた。
 「住所が無いと就職は無理なのです」ネットカフェ難民の一人が話していた。確かに彼は住所が無い→非正規雇用の職に就く→収入が少ない→家が借りられないというスパイラルに陥っているのかもしれない。

 ネットカフェ難民は今騒がれているが、日本には昔から同じような人たちは存在していた。日雇い労働者の町、山谷や釜が崎、横浜の黄金町などを拠点にしていた人がそうである。彼らの多くは1泊1000円強の木賃宿に泊まり、日雇いの仕事をしながら生きていた。
 日雇い労働者の雇用は建設業では日常茶飯事であった。筆者が良く仕事を頼んでいた建設会社は宿舎完備で作業員を住まわせていた。そして作業員はお金が溜まると仕送りをしたり、田舎で商売を始めたり、次のステップに移行していった。
 ところが何らかの理由でお金があっても次のステップに進めない人たちがいた。当時の部落差別や人種差別(朝鮮半島出身)、自身の犯罪歴の為、努力してもその努力が報われない事に絶望した人たちである。

 このネットカフェ難民と、従来の日雇い労働者、住む場所が違うだけで問題の構造はあまり変わらないように見えるが本質は違う。それは昔の日雇い労働者は、確かに日雇いの仕事の単価が良いときはこれでも生活設計が出来るであろう。通常の会社員の数倍の日当をもらえればの話である。
 ネットカフェ難民問題の本質は、その給料が安いことにあるのではないか。そして、即戦力を求めて経験のない人に門戸を開かない企業に問題があるのではなかろうか。また社会自体に個人主義が蔓延り、肉親ですら頼れない、そのような環境が作り出した現象ではなかろうか。
 給料の安さ、即戦力しか雇えない効率主義の企業、この要因は様々であろう。国が対策を考えるなり、制度を変更しないと解決できない問題である。日本型経営が再評価されている中、企業も一考してはいかがであろうか。

 しかし、社会自体に蔓延した個人主義の払拭には長い年月がかかるであろう。かつて日本人が共有していたモラルの根源は教育や伝統文化に基づいていた。少しずつでもよい、家族の繋がりをもう一度見直してはいかがであろうか。
 身近な他人にならない努力が、将来の自分の子供をネット難民にさせないであろう。自宅は安心して帰れる場所であると言えるように小さな努力を始める事が大きな問題の解決に繋がると思う。

 

文責 平山修一

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>