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米軍という非日常と共存する社会

 またしても沖縄で米兵による女子中学生に対する暴行事件が起きた。中学生といえばまだ子供である。自国に帰れば中学生くらいの子供がいてもおかしくない年の大人が何故このような事件を起こすのか理解に苦しむ。
 このような性的な暴行事件は警察によって、その調書を作るため、詳細に何をどうされたかを何度も聞かれるそうである。よって被害者の多くは思い出したくない被害の状況を何度も思い起こされるであろうその捜査に耐えられず、告訴を取り下げると聞く。今回も無念にもこの女子中学生が告訴を取り下げたと報道にて知った。

 町唯一の繁華街、思春期の子供たちは塾帰りなどコンビニ等で少し友人たちと自分たちの時間を過ごしたいのであろう。その気持ちは分かる。しかしそこに数人の兵士がやってきて、何かを強要されたら、、、多くの人は、筆者のような成人男性でも恐ろしくて声も出せないであろう。
 筆者は大学生の頃、神奈川県のとある町の繁華街で働いていた事がある。そこでは頻繁ではないが米兵が飲み歩いているのを見かけることがあった。彼らが良く酔ってゴミ箱を蹴飛ばしたり、物を壊していた事を覚えている。
 一度、バイト先に酔った米兵が来て、店のウイスキーのボトルを奪って逃げた事があった。追いかけた筆者と友人は無残にも殴られ、逃げられてしまった。警察の事情聴取時、警官から「基地ににげられちゃうとどうしようもないんだよな」と言われ、日米地位協定とはどういうものかを体に刻んだ経験がある。

 「アメリカ軍がいるから北朝鮮の脅威に対抗できるのではないか」このような意見もあるが果たして本当に日本に基地が必要なのであろうか。日本には自衛隊と言う世界一統制の取れ、モラルが高く装備の良い軍隊が既にあるのに、他国の庇護が必要なのであろうか。
 「あの家の人、昔刑務所に入っていたんだって」筆者が子供の頃、近所の人が話しているのを聞いた。普段お菓子をくれたり、いつも笑顔で挨拶してくる叔父さんの事だ。その次の日から何故か筆者は、その叔父さんを見かけるだけで怖くって怖くって走って逃げた記憶がある。自分の身近に罪を犯した人がいる事を許容出来なかったのであろう。

 イラク戦争やアフガン戦争と呼ばれる米軍による内国干渉があるが、その戦地に赴く前、もしくは後に沖縄に駐留する兵士が多いそうである。アフガンやイラクで銃を持ち、銃口を一般人に向けていた兵士がである。
 彼らは人を殺す訓練を受けたプロである。我々一般人とは違い、兵士は特別な自律教育を受け、特別に高いモラルを持っているのかも知れない。しかし、アジアの他の国々でアジア人を傷つけ、また殺した人たちが、私たちの日常生活に集団で存在するのである。
 全ての軍人、米兵が悪い人たちだとは思わない。しかし、我々日本人の日常には不必要だと思う。沖縄で起きた事は決してひとごとではなく、いつでも私たちに起こりうる可能性を忘れてはいけない。

 

文責 平山修一

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