<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

消費期限

 先日、白い恋人という北海道を代表する銘菓を製造するメーカーが、その賞味期限を偽造した事がマスコミに大きく取り上げられた。先のミートホープ社といい、少し昔の雪印、又も北海道の企業の不祥事に、筆者も同情を禁じえない。
 食品の検査関係の友人によれば、賞味期限はあくまでもそのメーカーがその商品が「最高の状態で美味しく食べる事ができる期限」を設定しているものであり、消費期限では無いそうである。
 つまりそのメーカーが独自の研究や調査によってその期限を決める事が出来るものである。よってメーカーが自分の判断で賞味期限を延ばしたとしても、根拠さえあれば、それは理に叶っている。
 しかし、今の白い恋人がバッシングを受けているのは、賞味期限の改ざんと言う嘘があったからである。つまり嘘つきがバッシングされているだけであり、本来の商品が腐っていたわけではない。

 筆者は海外で暮らすまで、賞味期限が消費期限だとばかり信じ込んでいた。日本食を調達する機会が少ない海外では賞味期限切れの食品は日常茶飯事に消費される。「くんくん、まだこれいける」このような動作はどこの家庭でも良く見られる光景である。そう、多くの食品は賞味期限を過ぎても食べられるのである。
 「これは箱が傷ついているから廃棄ね」筆者が若い頃、倉庫でバイトしていた時、多くの商品が中身には傷がないのにその包装に傷がついただけで売り物にならない事を知った。これは日本社会の特徴である事もあとで知った。そしてこの廃棄分のコストが予め商品の値段に含まれている事も。

 セカンドハーベストジャパンの理事長、チャールズ・E・マクジルトンさんのフードバンクに関する活動をご存知だろうか?こうした市場に出せない食品を企業より提供してもらって、それを低所得者に食事として供給しているのである。これこそ食品の無駄をなくし、需要と供給をマッチングさせた素晴らしい活動ではないかと思う。
 それと同時に我々日本人は目先の傷に拘ることなく、食品として食べられるかどうかを考えるようにしては如何であろうか?食品表示も賞味期限ではなく消費期限にして、誤解の元に無駄に捨てられていく食品を少しでも少なくできないものであろうか?
 その小さな意識改革、そしてそれに付随する規制緩和が、多くの農地や漁場、並びに生態系を救い、食品の値段を安くするのではないかと考える。

 

文責 平山修一

参考文献:アエラ7月30日号(No34)P60参照

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>