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システム思考

 筆者の知人に枝廣淳子という翻訳家がいる。彼女は翻訳家、通訳としても一流であり、最近ではアル・ゴア氏の著書を翻訳した事で一躍有名になった人である。筆者が彼女を知ったのは翻訳家と言うよりもシステム思考という考え方を広めている方としてであった。

 システム思考とは物事の本質を洗い出し、その目的を明確にする方法の事である。筆者は大学院時代の授業で初めてこの手法を知って以来、度々自分の周りの事象や仕事などを整理する時に用いている。
 自分の関心のあるシステムについて、手がかりシステムを定め、機能を展開しなさい 機能を展開する際に「その目的は?」と問い、物事の本質を考える。これが筆者が習ったエッセンスの全てである。
 例えば進学というテーマをシステム思考で考察してみる。「良い大学に入らなければならない」と言う事が目的だと考えていたとする。その目的を考えると「将来、良い会社に入るため」。
 このように次々と、その目的は?と問うていくと「良い収入を得るため」→「お金に困らない生活をおくる為」→「自分が幸せに生きる為」とこうして考察していったとする。そうすると良い大学に入る目的は、自分が幸せに生きる為と言うことになる。
 それだけで考えると、自分が幸せになる為にだけ良い大学に入らなければならないと考えるのはナンセンスだという事に気が付く。何が何でもこうでなければならないという考え方を見直すにはこういった手法が大切である。

 良く物事を判断、評価するのに、その当初設定した指標の達成度だけ見て、その成否を判断する場合がある。その際は全ての指標でその目標が達成されたのに、状況が変わらなかったりする事がある。
 それはその指標に囚われるあまりにその本質的な目的や理念を忘れるからであろう。あくまでも指標は一つの手段であり、機能の一つである。よって指標が全てではなく、判断に迷ったら指標の大元である理念に立ち返って判断しなければならない。
 つまり理念を持つ事の重要性=考え方や行動がぶれないと考えられないであろうか。理念ばかり掲げて、、、と批判する人も多いであろうが、筆者は理念なき行動には問題が残ると考えている。その行動が正しかったかどうか、これをチェックできるのは一貫した理想や理念だけである。
 その目的は、その本当の目的は、常にこのように考えていると、多くの事が矛盾だらけである事に気が付く。例えば北九州市で生活保護の申請に行った人が申請書すら受理できないで、苦しい立場に追い込まれた例が数多くあったと雑誌にあった。
 これなどは自治体の厳しい財政を立て直そうとして行政側は極力生活保護世帯数を多くしないように考えたのであろう。しかし、昔のような社会や地域、家族が担ってきた社会のセーフネット機能は既に限界を超えており、今は行政がその役割を負うべきであろう。

 行政の役割は何?その生活保護の目的は何?この観点で考えると、この行為が如何に愚かな事か気が付くであろう。縦割り行政や政府の方針の前に、これが基本的人権の生存権を犯す行為である事を懸念するべきではなかろうか。
 こうした物事の本質を見る癖を我々も身に着けよう。そしてこういうものだという固定観念を壊し、物事を再度考え直してみよう。この訓練が大きな変革を呼び、住み易い社会作りに貢献するであろう。

 

文責 平山修一

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