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価値観の調和

 三浦展は『下流社会』の中で、現代の若者を、所得の低さに加え、「コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。・・・そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者もすくなくない。その方が楽だからだ」 と描写している。なぜそのような事態が起こったのであろうか。
 幸せなことではあるが、私たちの世代は、生まれながらにして、衣食住にはある程度恵まれた生活を送ってきた。もちろん、豊かな家庭・貧しい家庭という貧富の差はあったが、第二次世界大戦直後の状況や、他の発展途上国の現状と比較するなら、その格差は非常に小さかったといえる。つまり、どの家庭も一億総中流的な生活をしてきたわけだ。

 戦後の焼け野原の復興において、人々が目指したのは、人間の本能的欲求ともいえる衣食住の充実であり、物質的な繁栄だったであろう。そうした、物質的充足への強い願望が、戦後の高度経済成長へと繋がり、経済的成長を実現したのではなかろうか。あの時代でおいては、物質的な繁栄こそが絶対的な価値観だったのである。
 だが、バブルの崩壊や、「失われた10年」を経て、経済成長一辺倒の価値モデルが綻び出したことを、自らの将来に対して敏感な若者は感じ取っている。その精神的な飢餓感が、現代の若者の無気力感に反映されているのではなかろうか。今までのように、物質的繁栄だけを追い求めても、自らが求めるものは手に入らないことに、本能的に気付いているのである。物質的充足への過度な欲求は、一度それが達成されてしまうと、人々の生きる意味を奪ってしまった。物質的繁栄を謳歌した後に必要となる、「新しい価値観」を創出しきれないことが、今の若者の無気力さを生んでいる。

 しかし、悲観的な要素ばかりというわけではない。戦後の物資的飢餓から現代の精神的飢餓ときて、その両方の苦しみを知った今だからこそ、ようやく両方が調和された中道的な価値観が実現される可能性が高まっているのである。今の時代は、物質偏重の時代から、精神性重視への復興が起きる、過渡期であり一つのターニングポイントである。旧来の価値観から開放され、一人ひとりの欲求に素直になれる時代だからこそ、そこに生きる私たちには、「自分が本当に大切にしたいものは何なのか」について向き合い、実現へと取り組む勇気が求められている。

 

文責 斉藤光弘

三浦展『下流社会―新たな階層集団の出現―』光文社新書、p.7

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