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生と死を見つめた医療

 インド・コルカタ(旧カルカッタ)空港を出発し、機体はパロ空港めがけ一路高度を上げてゆく。雲をはるか眼下に、空は益々青さを増し機体の左肩にはエベレストをはじめとする世界最高峰のヒマラヤ山脈が広がる。都会の焦燥とはおおよそ別の惑星の上を飛行しているかのような錯覚を覚える。ブータンへの空の航路を支配するブータン航空(Druk Air)ならではの機内体験である。

  以前、ブータンの北方、チベット側からネパールへ抜ける陸路、土色の大地の遙か向こうに浮かぶヒマラヤ山系を望む機会があった。土色の荒野の中に瑠璃色に光る山脈は何とも神々しく感じられ、太古の昔この不毛の大地に生きた人々が、この光景に神々を投影したであろう事を思い、ひとり想像にふけった。現在もまたヒマラヤ周辺の国々においては、我々の想像を絶するような過酷な環境の中でも村が点在しており、そこで生活を営む人々の生命力に驚かされる。何世代にも渡り悠久の大地のうえで神々を身近に感じながら、生と死を見つめる生活。そしてこのような環境の中でチベットの文化が花咲き、チベット医学もまたその中で誕生してきた。チベット医学の特徴を日本語で出版されている書籍から引用すると、

 近代西洋医学では、「生」に焦点を当てて寿命を延ばす技術を発達させましたが、チベット医学は、養生の術と生活のアドバイスをたくさん含んで、「寿命」よりも「生命」を大事にしてきました。チベット語で医学はソーワ・リクパと言います。ソーワは「治療する」「慰める」の意味があり、リクパは「智慧」の意味があります。つまり、長く生きるための技術ではなく、善く生きるための知恵なのです。チベット医学は人間が生まれ、老い、病み、死ぬと言う人生全体を考え、「生」だけでなく、死も中有(バルドゥ・死と生の中間状態)も含む大きなライフ・サイクル全体を考えているのです。

 医学の中に「死生観」が繁栄されているのが最大の特徴である。この医学大系は、海の幸と四季の産物によって育まれてきた、日本の風土の中では決して生まれることはなかったであろう。過酷な大地に生きる、人々の生への祈りからこの医学が誕生した事が伺える。
 お金次第で人生の安心が得られ、パソコンの中ではキー操作ひとつでリセットや復旧が簡単に行われる。高度に「便利さ」を追求してきた我々の社会では、仏教が説明するところの「因果応報」といった真理について感じる機会が益々少なくなっているように感じる。それは則ち、より善い「生」を考えるうえで有用な死生観が喪失していると言うことではなかろうか。チベット亡命政府、ダライラマ14世の主治医ロプサン・ワンギェル医師はこのように語る。

 生きている間にそれ(死)を学び、その構造を理解していることは、心理学的にも大きな意義があります。また、今を少しでも、より良く生きなければいけないことの重要性が認識されます。

 我々の身近な医療の中では(漢方を含め)死を考えるという事はおおよそタブーであり、その研究自体が死に対抗するための知恵であると言えるだろう。今、日本全体で若年者から高齢者という広い範囲で多くの人達が自らの命を絶つという悲しくも異常な事態を耳にする。人の命を司る現在医療の手の届かない範疇である。医療が広い範囲で「生と死」に対して積極的に目を向け、取り組んでいくこと。現在医療が社会に対し貢献していける新しい可能性ではないか。

 

文責 高田忠典

参照: 「チベット医学」青藏少年教育基金会 1999年
  「ダライラマ14世の主治医が語る 心とからだの書」ロプサン・ワンギェル博士著、中川和也解説、法研、1995年
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