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がんばれ地方公務員!

 イメージというものは恐ろしい。また一度張られたレッテルを覆すことも難しい作業である。筆者が20年前、大学を卒業する時に一般的に言われていた事を思い出す。「一般企業で自分を試すか、または地方公務員になって一生楽をするか、どっちを選ぶ?」と。
 当時のマスコミは地方公務員を安定的かつ残業が無い超優良企業であるかのごとく扱っていた気がする。しかしバブル絶頂期、多くの企業は上り調子で不況知らず。当時は給料の安い公務員をあえて選ぶ友人は極めて少なかった。
 地方公務員はどちらかと言うと良いイメージで語られる事が少ない。仕事量は少なく、仕事はたらい回しにする、夕方五時ピッタリに帰宅する、などなど。未だにそのような体質の地方自治体が無いとは言い切れないが、それらは少なくとも今の地方自治体の真の姿を反映していないと思われる。

 現実は、従来家族や共同体が補い合ってきた助け合い部分の大半を地方自治体が請け負っているのである。介護保険然り、少子化対策、就業支援、、このように地方自治体が行う業務は我々の生活とは切っても切れないもので、しかもその業務量はいまや膨大になり、多くの公務員の業務時間は今では深夜・休日にまで及ぶという。
 小さい政府を目指さなければ成らないとプロパガンダのように繰り返し続けた小泉政権。既に世界中どこの国と比べても少なすぎる公務員数なのにこれ以上何を削減するのであろうか。本当に国民の為の改革だったのであろうか。
 行政サービスは効率性だけでは割り切れない。また効率化の追求が必ずしも行政サービスの向上に繋がるとは思えない。何故ならそれを判断するのは住民であり、数字では割り切れない住民の満足感だからである。

 先日仕事で長野県に行き、久しぶりに唸った。災害復旧のために土日返上で多くの公務員がスコップやもっこを持って被災地で汗を流したという。しかも通常業務は平常通りにこなしてである。公務員とは公僕の精神を持つという事を改めて思い知らされた。
 確かに公金を着服したり、血税を我々の常識では考えられない名目の手当てで分配している人たちも居る、しかし、公務員の大半は善意の人であると私は信じたい。だからこそ我々市民の身近にいる地方公務員にもっと目を向けてみよう。そして批判の眼では無く、我々の生活を支えてくれている隣人として再度見て見ては如何でしょうか。

 

文責 平山修一

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