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『正月』に願うこと

 年末から正月にかけて、この時期は日本中でどこも大きな賑わいを見せる。交通機関は帰省客でごった返し、市場や商店街には買い物客が溢れる。そして、「一年に一度くらいは」と久しぶりに家族が揃い、豪華な食事とともに楽しい時間を過ごすのが、正月の定番の風景である。しかし、核家族化が進み、祖父母などと暮らす機会が減少すると、「正月の習慣」が、その本来の意味や故事が継承されないまま、いつの間にか単なる儀礼的なものになってしまっている面もまた否定できない。本文では、今一度「正月」が一年の中で持っていた本来的な意味を確認してみたい。

 正月は本来、「“年神”を迎え豊作を祈る年初儀礼で、盆とともに祖霊をまつる二大年中行事である」 とされる。門前に飾られる門松も、「年神を迎えるための依代」である。また、神棚に鏡餅を供え、それを鏡開きの後食べるという行為も、餅を神聖視する稲作文化に由来している。「魂を丸い餅で表わし、それを食べることにより新しい生命力を得るという信仰につながる」風習である。

 つまり、正月の習慣にはもともと、祖先の霊に思いを馳せ、前年の作物が豊かに実ったことを感謝するとともに、新しい年も農作物が豊穣にあってほしいという祈りが込められているのである。またそれとともに、新しい年を家族みんなが無病息災で健やかに過ごし、ますますの発展を願う想いが込められていた。ここには、日本の稲作文化に根ざした民族宗教に由来する信仰が見て取れる。

 時代の移り変わりとともに、人々の農業や自然との関り合いが薄くなっている現代においては、「正月」が持っていた意味合いが変化するのも仕方がないのかもしれない。しかし、その習慣に込められていた想いだけでも引継ぐ必要がある気がしてならない。せめて「一年に一度くらいは」温かな家で、家族とともに過ごせる幸せな時間をもてることに感謝し、普段忘れがちだった自然への畏敬の念や、周囲の者の幸せを願う気持ちを持ちたいものである。また、そうした時間を通して自分自身を見つめることが、気分を新たにこれから始まる一年を実りあるものにしてくれるのだ。

 

文責 斉藤光弘

年神(としかみ)。「五穀を守るという神で、正月に家々を訪れる。商家では福の神、農家では田の神とされる」。
百科事典マイペディアより、「正月」「年神」「門松」「鏡餅」の項を引用。

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