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セムガェ

 ブータンのGNHを研究し始めて早3年になる。今ではGNHという言葉も一部の人にではあるが日本でも市民権を獲得しつつある。ここで基本に戻ってGNHの言うところの「Happiness(幸福)」について再度確認してみよう。
 読者の方は幸福と言う言葉は元々ゾンカにない事はご存知ですか。幸福の国ブータンでそんな馬鹿な・・・と思う人もいるかも知れませんが、元々ブータンには幸福に当たる言葉はありません。

 約10年前、ブータンの農民に「貴方は今幸せですか?」とインタビューをしたところ、通訳の男性が困り果てた事があった。その理由は「幸せという単語が訳せない・・」と言うのが彼の見解だった。
「じゃあ貴方は英語のHappyをどう理解しているの?」と彼に聞いたところ、彼は長文のゾンカで農民に話しかけた。「貴方は何か欲しいものはありますか?また貴方の心は平安ですか、心配事はありませんか?今の生活に満足していますか?」
ここまで話して初めて農民の口が開いた、「君は色々なことを考えているんだね。僕は現状に満足しているし不安は無い」こう言い切った農民の目には一点の曇りも無かった。彼は少なくとも不幸せだとは思っていなかったようである。
 今はゾンカのセムガェという言葉が英語のHappyにニュアンスに近いと言われている。セムとは心、ガェは心地よいという意味になる。併せると「心が気持ち良い」となる。つまりブータンの人の幸せは心の状態を表している。
 心が気持ちよい、、、言葉では分かるのだが、中々その状態を示せと言われても、説明に苦慮する。しかしブータンに滞在すると自分の心の緊張が取れていくのが分かる。気圧のせいであろうか、自然環境が豊かなせいであろうか、またブータンが持つ独特の雰囲気のせいであろうか。

 心が気持ちよい社会状態つくりに国が本気で取り組んでいる。。それこそ素敵なことではないか。今の日本は理想を失った社会つくりが横行し、短期的な利益やVisionに基づく社会経済活動が主流であるように思える。
 それは会社と雇用主との関係が西洋的に成ったからであろうか、仕事に対する考え方が社会人の間で変わりつつある。仕事が社会の為ではなく、自分の生活を守り、自分の資産を守る(増やす)為の手段となりつつある。
 仕事をしていて相手に感謝される事は意外と多い。それがあるからこそ、仕事にも身が入り、社会で自分が役割を果たしていることに幸せを感じられるのではないか。心が気持ちよい状態を感じられる、そんな国日本を作り上げて行きたいものである。

 

文責 平山修一

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