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農産物自由化の代償

 2006年の初頭より、東南アジアで一番安泰であるといわれたタイのタクシン政権も世論の大反発により、大打撃を受けた感がある。その一旦を担ったのは、民営化に反対した電力公社の社員や、多くの教職員、マスコミ関係者に加えて、農産物の自由化交渉に反対する農民であった。

 農産物の自由化がもたらす弊害は1970年代から問題視されている。多国籍企業が推進する途上国の国土のプランテーション化は、従来の自然環境や地勢条件を考慮した農業を、単一作物の供給地へと変えてしまった。多くの国では、伝統的に複合型植林が盛んであった。つまり自分の土地に生活に必要な植物や樹木を混在させて植え、その生活の「需要(食料・建築資材・薬などなど)」に応じて収穫していた。そして自家消費で余った農産物(生産物)を、自分の土地で収穫できないものと交換し、その生計を立てていた。

 今の時代にその伝統的な農法を途上国の人に強要するのはナンセンスな話である。しかし、基本的には伝統的な農法に良って支えられていた農村社会は、経済の外部性に大きく左右されない持続可能な社会であった。だが、開発が進むにつれて、農村社会でも公共インフラ料金や教育費、電気製品等を購入する為に、貨幣を持つ事が重要となった。そこで人々は従来の需要に基づく生産方式を改め、単一作物生産を行い、多くの現金収入を得ていった。つまり、農民の担う労働は、地域社会の需要に基づいた生産行為(農)から、先進国への原材料の供給となった。やがて、農民は生産者としてグローバリゼーションに組み込まれ、その対価と共に、大きな経済圏に飲み込まれていった。

 住民に一定のノウハウと意識改革を促す日本の工場進出と違い、単一作物生産はその住民が本来持っていた多くのものを失わせた。農業に対する知識、共同体意識、従来の文化や習慣に対する敬愛の念など、、当初、個人はその生産量に比例して増えていく自身の所得に多くの満足を感じた。しかし、生産量拡大に伴う設備投資は生産物の価格下落を招き、構造的に農民に不利益をもたらす事と成った。つまり作れば作るほど貧乏になるという結果をもたらしたのである。

 都市住民にとって一時的には農産物自由化は安価な食料を得るという目的において価値があろう。しかし、タイの農民は身を持って、農産物自由化が何を自分たちの社会にもたらすかを知っているのである。

 

文責 平山修一

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