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「正義」を貫くための最終兵器“核”

 近年一般庶民を数多く巻き込んだ爆破テロが多く発生している。1998年のケニアとタンザニアでのアメリカ大使館爆破事件,2002年のケニア・モンバサのパラダイスホテル爆破事件等,こうした爆破テロの報復として軍隊を使った報復攻撃が一般化しつつあると思う。この報復という行為は「敵討ちが個人から国レベルになった」様に思もっていたが,果たして“報復攻撃”とは“敵討ち”と本当に同じなのであろうか。

 ニュースになっている様にテロも報復攻撃も一度起これば,どちらも多くの一般庶民が巻き込まれてしまう。犠牲となった多くの一般庶民には,全くテロや報復攻撃に関わっていない人も多く含まれている。それにも関わらずテロを起こす側も,報復攻撃をする側も,どちらも「己の正義」を掲げて自己の行動を正当化しつつ行っていると思う。では犠牲となってしまった多くの一般庶民の正義はどうなるのであろうか。これも立派な正義であると思う。

 大変不幸にも巻き込まれてしまった一般庶民,死んでも死にきれないであろう。その遺族には,今まで無かったはずの“相手に対する憎しみの心”が生まれてしまうだろう。その憎しみの心が大きくなり,同じように考える人々が集まれば,それは新たなテロを起こすきっかけとならないであろうか。兵器が強力になるに従って,ひとたび兵器を使えば従来よりも多くの一般庶民は巻き込まれてしまう。使用される事によってより多くの “新たなる憎しみの心”が生まれてしまうと思う。これ全くの悪循環だ。計り知れないほどの一般庶民を犠牲者としてしまう核兵器に至っては論外だろう。

 戦争行為に直接関わっている人々に限定した攻撃は,核兵器には不可能であろう。この核兵器を使用する事によって,今まで憎しみを抱いていなかった所に新たな憎しみを創り出す様では,平和へ向かうどころかお互いが憎しみあって平和とはほど遠い状態へと招くに過ぎないと思う。一方,20世紀に入って国際的な戦争を行っていないブータン王国では,平穏な生活の方向へと社会を進めるように一役を担っていると感じるGNH政策。ブータンという限られたエリアにとどまらず,もっと大きなエリアを対象として社会開発へ適用できたならば,GNHは平和な世の中を作り上げるのに役立つのであろう。

 

文責 瀬畑陽介

[参考文献]  かわぐちかいじ『ジパング』講談社,2003年

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