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親族縁者社会保障制度

 核家族という構成が“普通”として定着した今「我が家は3世代大家族」というコメントができる家庭は極めて珍しい。社会のシステムが安定し国民生活全体が豊かになったひとつの象徴でもあろう。しかし豊かさの享受と並行して都市部だけではなく日本全体に家庭内不和、不登校、凶悪犯罪、などの諸問題が定着しつつあることからも目は離せない。そこで、そういった日本の現象とは対称的に一般家庭から「我が家は他の家と同様3世代大家族」が未だ“普通”の回答として得られるブータン王国の例を紹介したい。

 朝は香の煙と共に老人の読経の声で始まり、子供を学校に送り出した後、家族は畑で汗を流し、老人は学校から帰った子供達を迎える。夜は家族があぐらで暖を囲んでの夕食、一日の労をねぎらい合い布団を敷き詰めた小さな部屋で寄り添い合って眠りにつく。まさに50年もしくはそれ以前の日本の生活を想像させる一般的家庭の日常である。我々が失っている家族の構図を誰の胸にも感じることができるはずだ。ブータンにおける幸福の条件。よくTVでは「もしもの時のために…」という不安を煽る保険会社のコマーシャルは定番である。ここブータンの仏教哲学を背景として実施されてきた政策はその心理的不安の解消に成功している。無料の教育・医療システムがそれである。人口の増加につれ一部有料化が見られるものの未だ「もしもの時…」を考えるには及ばない。そしてここにもうひとつ、王国が進める政策的社会保障制度と共にこの国に今も息づく親族内の深い絆、縁者同士の助け合いという仕組みは慣習的に形成されている社会保障制度システムであるといえるだろう。冠婚葬祭もしくは日常におけるトラブルがあれば必ず多くの親戚が関与する。ちなみに最近新しい風習となった子供の誕生会ひとつを挙げても各子供に両親縁者が必ず同伴し50人以上の会食になることは少なくない。山積みされるプレゼントを前に主役の子供の幸福量は最高潮に達する。また、奨学金を受け海外に留学する学生達、他の多くの途上国の学生達が留学先の就職を希望し祖国に帰らないケースが多い中、ブータン人学生達は卒業後、自らの希望で帰国し国内に就職するケースが殆である。「それで食べていけるのか?」。各親族は出身地の集落ごとに形成されているが各地から送られてくる米・唐辛子・乳製品・じゃがいも(が殆どであるが)はブータン人達の食宅に欠かせないアイテムであり彼らの食欲を充分に満足させる。

 こういった親戚同士の助け合いの絆は日本中の誰の記憶の中にもつい最近まで共有されていたものである。日本でとりわけ都市部に比べれば親戚つき合いが残る地方都市においても家族の分散化は著しい。“仕事がない”“都市へ就職する”という構図が今や定着している。著者の実家長崎を例に挙げれば全国有数の水産基地であるにも関わらず秋田に次ぐ過疎先進地区である。豊かな生活を享受した70年代から90年代の間、国民の多くが自称“中の上”もしくは“上の下”の生活レベルを自覚する中、それを維持するプロセスの中で親類・縁者はおろか家族という社会の最小単位の崩壊を各家庭での格差に関わらず推進してきたように思える。政策・マスコミを始めとする世論がそれを先導してきた感もある。地方で幸せに生活をしていく、そのためには生活を支える職業が必要であるが地方企業の努力もさながら地方自治体の農業、牧畜業、林業、水産業、狩猟業といった地域に根付く第1次産業活性への努力は必須である。そのような環境をいかに創造していけるのか。

 最近豊かになりつつ首都ティンプーでは地方に比べ核家族化が進んでいる。かろうじて親類同士のつき合いは今も強固なままである。海外からの援助と政府の努力で国民の就学率は急激に伸びた。しかし教育を受けた学生達は政府や企業への就職率が低いにもかかわらず国の9割をしめる職種である農業への就職を拒みはじめている。日本でも過去に起こった現象である。第1次産業や地域に根付いた仕事は「もの作り」という代々地域に伝わる独自の知恵の伝承を必要とする。いかにこれらの魅力を伝えていけるのか。日本とブータンが共有する今後の課題でもある。

 

文責 高田忠典

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