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アフリカ大陸の地「ウガンダ」にてGNHを探す

 3月下旬に青年海外協力隊短期派遣隊員としてアフリカのウガンダ共和国へと派遣された。長年訪れてみたいと思っていた“アフリカの大地”。日本に入ってくるステレオタイプの『貧しく,からからに乾いた大地,水に常に困り…』といったアフリカのイメージと実際に現地で受ける印象にどれだけの違いがあるのか興味があった。

 もちろんウガンダ一国を訪問しただけでアフリカの全てを語る事は出来ない。しかし,何かしら新たな印象がある事は期待していた。更には「ウガンダの地でもGNHに通じるモノを感じる事は出来ないか」に興味もあった。
 ウガンダに到着して意外であったのは“思ったよりもウガンダは緑豊かな国”であった事。首都を離れても道の両脇には緑の大地が広がっている。農村へ行ってもそこではバナナや稲を栽培して生活している姿に遭遇する。しかしその一方,首都カンパラの町中では物乞いをしている方を多く見受ける。雨が多く,豊かな大地であっても貧しい方はいるのである。ここウガンダにて青年海外協力隊員(以下,隊員)として活動されている方々にウガンダについて話を聞くとやはり貧しい方が多いようだ。しかも,その貧しさは私が想像する以上の貧しさであった。極端に貧しくないまでも町中でタクシーに乗れば“何とかして少しでも稼ごうとする”ドライバーに出会う。つまりは法外な値段を吹っ掛けてくるわけだ。町中で職に就いている人であっても必死になって日々お金を稼いで生活しているのを感じる。多くの人達がギリギリの生活をしていると思う。

 GNH研究所の主任研究員高田が言っていた事を思い出す。『人は不幸,不安な状況が少ないほど幸せと感じる』と。ここウガンダでは不幸な事が多すぎるように思う。極度に経済的貧困であったり,ウガンダ北部では内戦状態であったりする。医療に関しても地方では十分に受ける事が出来ない。隊員が活動されている病院では,待合室にて息絶えてしまうケースもあると聞く。教育にしても中学生2年生レベルから学費が必要となってしまう。現金収入源が少ないにもかかわらず,よい医療,よい教育を受ける為には現金が必要となってしまう。ギリギリの生活をしているので,常に不安と隣り合わせであると思う。

 極端なまでに経済発展をしてしまうのも困るが,ある程度の経済的な充足が人間幸せになる為には,必要である事をここウガンダにて感じた。また,その経済的発展の影響が国民へ広く行き渡らなくては意味がない。現在のウガンダの様に貧富の格差が大きい状態のままでは国として経済発展を遂げたとしても,国民全体的には幸せにはなれないと感じる。ある程度の経済的発展を手に入れた時,西洋諸国の植民地となる以前に存在したであろう持続的な発展を行っていた文化をもう一度思い返して,更なる発展を目指して欲しい。その中にはきっと,ウガンダでのGNHが潜んでいるであろう。

 

文責 瀬畑陽介

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