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治安の良い日本社会を
先日の高田のコラムに「未病」の件が記載されていたが、まさに現代社会は未だ病気の状態ではないと言える。確かにマスコミではセンセーショナルに一部の突飛な行動を報道する。それは報道の使命なので仕方が無いが、その報道を期待しての愉快犯、自己表現を間違った方向でしようとしている人たちによって利用されてしまう。そしていつか気がついたら不安が不安を呼び、日本社会は「治安の悪い状態」であると認識されることが常識となっている。
果たして日本は現在危険な社会なのであろうか。何と比べて危険かどうかを判断するのが非常に難しいが、筆者はあえて数十年前の日本(つまり筆者の記憶にある昔の日本)と比べてみる。
ひとつの未遂事件の裏には多くの予兆や原因が考えられる。それは時代の流れが個人主義に陥った事とは無関係ではないであろう。個人が自立もしくは俗な言い方をすれば「目だたない」といけない、集団に埋没する事を悪いこととする風潮がポイントではないかと筆者は考えている。
集団に埋没する事が何故いけないのであろうか。突飛な行動を取らなくてもお互いがお互いの個性を認めあう社会がベースにあればこのような犯罪は起きないのではなかろうか?人はそんなに多くの人に認めてもらわなければ生きていけないのであろうか?
文責 平山修一 |
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