<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

日本向けGNH 武士道より「自殺及び復仇の制度」に隠れた物

 今の世の中では考えられない切腹(自殺)の制度。しかし今からたった140年ほど前の日本社会には存在した。この自らの命を絶つという行為は今にしてみればなんとも馬鹿げた制度だと思う。まだ家庭も持っていない私が自分の人生を自ら絶つなどという行為はとうてい理解出来ない。自殺ですら考えられないのに,自分の腹に短刀を刺して腹をえぐる様な切腹は,尚のこと理解出来ない。しかし,実際には家族を持っている持っていないに関わらず,過去の日本では切腹は行われていた。なぜ自らの人生を絶つ様な行為が行われていたのであろう。

 一般的に「復仇」,「敵討ち」等は平成の日本では存在しないであろう。法治国家となってからの日本は,通常は誰かが罪を犯せば,敵討ちとして被害者,及び被害者家族が加害者に対して殴り込むようなことはない。法律に則って罪を犯した人が裁かれて,加害者は刑に服したり,金銭を払う事によって済まされている。よっぽどの罪を犯さない限りは,死刑を宣告される事もない。しかし,裁判所によって刑を宣告されたとしても,世論が納得しない場合も存在する。きちんとした手続きを踏んでいるにもかかわらず,凝りを残したりする場合も存在する。司法では裁ききれないものが我々の心には依然として存在するのではないだろうか。

 過去の日本においては,私の以前のコラム『日本向けGNH 武士道より「名誉」』でも書いたとおり,己の使命を“これだ!”と信じ,使命に向かって突き進む事を誉れとしていたようだ。『真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり,これがために死を招くも決して不名誉ではない(新渡戸稲造著(1899),矢内原忠雄訳(1938) 武士道 岩波文庫より一部引用)』とあるように,なぜ自分がこの世に生まれてきたのかをきちんと理解し,その為に己の全てをかける。結果がどうあれ,その使命に向かって突き進む過程を重視していたのであろう。

 法治国家となった現在においても,被害者家族には凝りを残す後味の悪い終わり方である。それは加害者が裁判によって裁かれようとも,使命を果たす事の出来なかった被害者は帰ってこない。使命を果たす事が出来なかったのはやはり不幸な事では無かろうか,その裏返しとして,使命を果たす事の出来た人は“幸せ”といえるだろう。

 

文責 瀬畑陽介

[参考文献]  新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>