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賢者のことば

 ジョン・F・ケネディ と ビル・クリントン。日本人では誰もが知っている二人の大統領が「日本人の政治家の中で一番尊敬している人物」というインタビューで挙げた名前は上杉鷹山(ようざん1751 - 1822)。

 いきなり頭の中で???が渦巻きそうであるが、江戸時代を代表する名君のひとりとして数えられ、赤字を抱え瀕死の状態にあった米沢藩の財政を立て直した改革者である。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」や山本五十六語録として知られる「やって見せ、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」も元を正せばこの人物の言葉であると言えば多くの人は納得するであろう。彼の人気の理由には数々の政策に取り組む傍ら自らも土を耕し倹約を行った上で、人民に帰農を奨励し非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励などに努めた事にあるだろう。改革に追われる者に果たして畑を耕す余裕があるかどうかは別として、自らがまず率先して実践をしめす指導者の姿には人民の心を揺さぶる何かがある。国民に圧倒的な尊敬をうけるブータン現国王もまた、自らの宮殿の建設を拒み丸太小屋に居をおくなかでGNHを国民に提唱する賢者でもある

 「きれい事」が受け入れられにくいご時世である。「きれい事をならべて飯が食えるか!」と言う事だろう。実際の処「きれい事」は飯の食えない侘びしさを慰める言葉である。今の日本人は充分に飯にありつけている。正しくはThe more you get, the more you want.の中で「きれい事をならべてGNPが上昇するか!」が今の日本人の主張である。無駄口を叩かず黙って黙々と働いた結果暮らしは豊かになった。しかしその傍らで難しい格言を口にしていた老人にとっては更なる歳入が見込めず「役立たず」のレッテルを貼られる肩身の狭い社会となってしまった。

 ブータンの退職後の平均的なスタイルは仏教者としての専念である。すべての家庭や職場には仏画を飾り崇めているが、生産世代を退職して初めて仏画にある人物を目指す、彼らにとっては理想の生活を享受するのである。また仏教者としての「言葉」は家族への社会道徳規範として力の有り余った若い世代に確実な抑制力として機能している。

 思えば一昔前の日本の親も子供にとっては恐ろしい存在であり、その傍らで語られる老人の言葉には経験を通した重みがあり、冒険に身を任せがちな若者の判断力を養ってきた。戦争による「暴力」の後遺症か西洋化の浸透のせいか今は逆に優しい親が良い親であるかのようなご時世である。今や我々は欲望とも言える若い力を抑制するシステムが欠如する社会の中で生活を営んでいる。短いスパンではこのエネルギーは様々な新しいサブカルチャーやテクノロジーを生んできた。しかし思いもかけずその裏側で無気力やあらたな暴力といった火種を生み新たな社会問題にまで発展してきている。家族・社会の抑制力として機能してきた昔からの智慧である「言葉」が今必要とされている。「語り部」として君臨し尊敬されてきたお爺ちゃん・お婆ちゃんの時代到来である。高齢化が問題としてのみ扱われている日本社会で今、声高らかに叫ぼう。「老人よ 大志を抱け!」

 

文責 高田忠典

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