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日本向けGNH 武士道より「忠義」

 「夫婦別姓」といった言葉を多く聞くようになって久しくなった。しかし,結婚した時には夫婦どちらかの姓に統一するのがまだまだ一般的であると思う。更には多くの場合,結婚を境に男性側の姓へと統一するのが一般的であると思う。なぜ日本人の多くは,今まで慣れ親しんできた姓を踏襲しようとするのであろうか。
青年海外協力隊にてブータン王国にて過ごした2年4ヶ月間,同僚からの呼び名は“Yosuke”であった。そのよりも以前,カナダへ行っていた時もやはり“Yosuke”。一方,日本では“瀬畑”と呼ばれる。一般的に英語を使う環境では“名”で呼ばれる。日本語を使用する環境では“姓”にて呼ばれている。この違いは一体どこからくるのだろうか。

 一般的に西洋文化圏では「個人主義」が主流であろう。昔,語学留学していた時に滞在したカナダ人家族,子供達が何をしていてもわりと放っておく。私が驚いて滞在先のお父さんに聞くと「10歳位までは自由にやりたい事をやらせる。それからは少しずつ話して聞かせるようにする」との事であった。私が小さい時に体験してきた育て方とは大きな違いを感じた。親から“ああしなさい。こうしなさい”と言われて育つ日本。一方ある程度の年齢までは自由にして育つ西洋文化圏。その当時“幼少の頃の育ち方の違いも個性を伸ばす一因なのだろうか”と思った。

 『西洋の個人主義は父と子,夫と妻に対して別々の利害を認むるが故に,人が他に対して負う義務を必然的に著しく減ずる。しかるに武士道においては,家族とその成員の利害は一体である。(新渡戸稲造著(1899),矢内原忠雄訳(1938) 武士道 岩波文庫より一部引用)』とある様に,過去日本では個人が個別に利害を考えて行動するのではなく,家族が同じように行動する事を必然としていたようである。

 社会の最小単位は『家族』である。しかし,その最小単位の中でさえ結びつきの弱い個人主義の世界では,世代を跨いだ継承(発展)は難しいと思う。一方,過去に家族とその成員の利害が一体であった武士社会では,自ずと家族の行動についても家長に準じていたと思われる。家長の行動は,家長が幼少時に当時の家長の行動に準じていたはずである。代々どのように行動するかは家長を通じて受け継がれていたはずである。子供達が独立していった時も,新たな家庭では「家訓」として受け継いで行動していたであろう。社会の最小単位である「家族」から,ゆっくりではあるが大きな単位へと持続的に波及しやすい社会構造でないかと思う。

 

文責 瀬畑陽介

[参考文献]  新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年

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