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負の遺産相続問題!?

 長崎平和推進協会が、修学旅行生らに被爆体験を語り聞かせる活動に取り組む同協会継承部会に対し総会にて『より良い「被爆体験講話」を行うために』という冊子を配布、「国民の間で意見が分かれている政治的問題(※1)」8項目を上げこれについての発言自粛を求めた。これは実質上の「言論統制」であると危機感を抱いた一部の会員および被爆者らが「被爆体験の継承を考える市民の会」を組織。発言規制の撤回などを求める要請書(※2)を同協会に提出した。これに対し丸田徹推進協会事務局長は「このままでは話を聞いてもらえなくなるし中立性を保つことが必要だと考えた。文書は撤回しない」と返答。

 「長崎平和推進協会」は1983年、世界で「核軍拡競争」が繰り広げられる中、党派色やイデオロギー主義主張の違いを超えた官民が一体となった幅広い市民レベルの平和組織をつくるというスローガンで設立された長崎市の外郭団体である。撤回要求に対する事務局長のコメントには協会創始時の方針を再確認する意図が込められていたのではないだろうか。しかし単に会員に対する協会側の説明の仕方に問題があったのか、それとも反対する会員側に他の意図するものがあったのか、いずれにしても平和を提唱する組織内でおきた小さな「戦争」は穏やかではない。原爆という「負の遺産」を巡る相続問題と言ったところだろう。哀しみの種から新たな争いが生まれる事は望ましくない。双方に納得のいく解決を見いだして欲しい。

 市民の会側からは「原爆は戦争という時代の中で落とされた。いま日本は戦争への準備を始め、核戦争の脅威も迫る。『政治』を抜きに語れない」「誤解を与えないように自分の意見だと前置きすればいい」「政治的問題に関する子どもたちの質問に答えなければ、原爆について学ぶ意欲がそがれる」などの訴えが挙げられている。しかし「被爆体験」という個性のみを訴える事が協会としての平等性と重みを保ち、より広い啓蒙が達成できるのではないかと考える。上記の協会創設のコンセプトが協会内での活動の最優先課題であると考えたとき、果たして今回の発言自粛の依頼は「言論統制」と言えるのだろうか。しかしながら被爆者の経験を通した政治へ対するイデオロギーも貴重な言葉である。協会は率先して発表に相応しい場を斡旋してはどうだろう。

 設立からもうすぐ25年という四半世紀を迎える長崎平和推進協会にも多くの課題は残されている。協会活動が課題に挙げている「長崎が体験した被爆の継承」「協会の活動啓発」「国際交流」にはいずれも若い世代の力が必要となる。しかし協会内ではそれを支えていく会員数の伸び悩みと高齢化が挙げられている。原爆の悲惨さを知らせていく上で「語り部」以上の説得力は期待できない。体験を語り継ぐ若い後継者の育成と新たなアイデアの創出が必至である。近年、海外のテロ事件などの影響で若い世代の平和活動への関心が高まってはいる。しかし実際会員になっても何をして何を期待できるのかが見えず、協会内の平和活動に自分の生活・仕事といった身の回りの事との距離がありすぎて現実味が感じられないという声もある。産業の乏しい地方都市の今を生きる市民にとって平和に対する活動からは魅力ある「旨み」が感じられないのである。行政主導の現状から官民一体の組織である特性をより伸ばしていけないか。

 「市民生活と平和活動との連携」による底辺の拡大は「被爆の継承」と並行して、新たに協会が取り組んでいくべき未来への課題として上げられるのではないだろうか。例えば外郭団体の利点を生かし長崎の産業活性に着手してみてはどうか。企業が参加する事によって、事業に継続性がないという問題も解決の糸口を見いだす。元来、西に向けた外交で栄えた歴史ある港町、資源が乏しい日本とアジアや中近東を結ぶ国際港としての産業が活性されれば各国の港町のある都市とを中心に「戦争なんかしたら損をしてしまう」という感情が生まれ、具体的な平和提携が生まれる。また、並行して大学・企業・行政が連携し平和産業を研究していくシンクタンクが創設できればそれだけで真面目な平和を学ぶ観光都市しての開発も予想される。現代版「出島」、日本版「ルネッサンス」である。

市民へ向けた呼びかけとしては「市民全体でノーベル平和賞を目指そう!」と大風呂敷を広げてみてはいかがだろうか。極端な例かもしれないが、これくらい大きな目標の前には協会を始め、思想や価値観の異なる平和団体、被爆者および遺族を持つ市民が一丸となり平和に向けた幸福の「場」を共有できるのではないかと考える。

こう言っている間にも「長崎(地方都市)にはそんな大きなことは無理だよ」と悲観的な声が聞こえそうだ。著者も長崎に生まれ育ったからそう言いたくなる気持ちは良く分かる。しかしこのような夢話を語らい、共に取り組んでいく市民の姿こそ被爆医師としてこの協会の創設に奮闘した故秋月辰一郎氏が唱えた「小異はそのままにして、大同につこう(小さな違いは認め合い、大きな流れをつくろう)」というスローガンと結びつくのではないだろうか。

 「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」という言葉で両被爆都市の平和活動を比較する言葉がある。今回の事件も長崎市民の「平和への祈り」の方向をリードするガバナンスが定まっていない事に端を発したものである。この度の一件、これからの平和学の歴史への礎としてもらいたいものである。

 

文責 高田忠典

(※1)
①自衛隊のイラク派遣、②憲法(9条等)改正、③天皇の戦争責任、④有事法制、⑤原子力発電、⑥歴史教育、靖国神社、⑦環境、人権などの問題、⑧一般に不確定な内容の問題(劣化ウラン弾)

(※2) 「被爆体験の継承を考える市民の会」(代表:舟越耿一/長崎大教授)提出の方針撤回を求める要請書内容
①政治的問題に対する発言規制の撤回 ②同協会と会員の言論、思想信条の自由の保障 ③同協会の民主的運営

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