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日本向けGNH 武士道より「名誉」

 「今度のテストで100点採ったらご褒美に…」なんて似たような話は子供の頃にたくさん聞いた事があると思う。一般的に人間誰しもご褒美は嬉しい。しかし,毎回同じご褒美では子供とて満足はしなくなっていく。初回はアニメのカードでよくても,気付けばゲーム機になっていたり,自転車になっていたり。際限なく高価な物へとご褒美は変わっていく。大人になっても変わらないであろう。一度高価な物を手に入れれば,次はさらに高価な物を欲しがちである。人間の欲望は際限を知らない。

 しかし,武士社会においては“名誉”の方が“褒美”よりも大切にされていたようである。武士は自分の名を残す事を人生の目標としていただけに,不名誉を被り,名を汚すことは『不名誉は木の切り傷のごとく,時はこれを消さず,かえってそれを大ならしむるのみ(新渡戸稲造著(1899),矢内原忠雄訳(1938) 武士道 岩波文庫より一部引用)』とある通り,自分の人生の中で名を残す大きな障害になるため,“褒美”よりも遙かに“名誉”を大切にしていたのではなかろうか。

 「限りある物量に対して,人間の精神は無限である」この文章は戦時中,善い使われ方をしていなかったと思うがその通りであると思う。現在の社会に当てはめて考えれば,“人間の欲望は,どこまでも際限なく求めてしまう。物質的な充足(豊かさ)は,限りある物量の為にどこかで限界に達してしまう。だが精神的な充足(豊かさ)は,物量に左右される事がないので可能と言えよう”と理解できないだろうか。物質的に豊かになるのには限界があると思う。しかし精神的に豊かになることは,限りある物質(経済的,物量的)に左右されないので「誰しも手に入れることの出来る豊かさ」と言えよう。

 武士道に『人々己に貴き者あり,思わざるのみ』とある通り,人それぞれが内に光り輝く所を持っている。その輝くところに各々が気付き,仕事,生活等へ役立てることが出来たならば,誰しも存分に個々の存在価値を見出しつつ能力を存分に発揮し,自分の名を後世に残すことも出来るのではなかろうか。「名を残すこと」それはたとえ物質的,経済的に満たされなくとも,個人がこの世に生を受けてきた意義を感じ,一生の内に感じることの出来る人生最大の幸せかもしれない。

 

文責 瀬畑陽介

[参考文献]  新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年

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