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加速する欲望

<加速する欲望>

 GNHという概念がブータンから生まれたのは、ある意味でブータンの人々が周囲のどの国に比べても、集団として「満たされていた」ということだろう。そう、かつてのブータン人は充足していた。種類は限れてはいたが食べ物は十分あり、家族はいつも一緒で、村の人はみんな知り合いで、子ども達は地域に守られていた。店に売っているものはどこも同じで、どの家にも同じものが並んでいた。子ども達は同じインド製のサンダルを履いて学校に通い、靴でないから、靴下を履いていないからと子どもを叱るような先生もいなかった。だって、先生もサンダル履きだったから。

 ブータン人は自覚こそしていなかったが、実は幸せだった。おそらく今以上に。外からの情報を手にすることのできる人は限られ、それは楽しいおとぎ話のように村々で語られた。私の夫は都会にあるという「電気」というものの話を聞いたときのことを、今でもはっきり覚えているという。ブータンにも情報化社会が出現した今、情報は楽しいおとぎ話とはなりえない。それはただ欲望を生み、社会は不公平感を増幅していく。

 2005年11月に行われた第83回国会で、あるチミ(国会議員)はこんな質問をした。「大規模な発電所建設が西ブータンに偏っているのはなぜなのか。東では自国内に存在する発電所が作る電気を、インド経由受けなければならない地域もあり、慢性的な電気不足は解決してはいない。」もちろん、発電所建設には適した地形が必要だということを見逃すわけにはいかないが、「海外からの資金は東や南へは届かない。」という思いは、人々の心の中に根強く潜んでいる。それは、ブータンにおける開発の歴史を見れば明らかな事実でもある。また先ごろの憲法草案についてのモンガルでのミーティングで、ある学生はこんな質問をした。「外国籍を持つ外国人はブータン国籍を取得できるのか。その場合、元の国籍を放棄しなくてはいけないのか。外国籍を得たブータン人は、ブータン国籍を放棄しなくてはいけないのか。」

 知らなければそれで済んだのに、見なければ今まで通り、穏やかに充足して暮らせたのに。知ってしまったら比べたくなる、見てしまったから欲しくなる。隣人が持っている物は、それがどう自分の生活に役に立つかはさておき、手に入れなければならない物となる。かつて国王陛下は「欲望は人間が受け取る情報量と比例して増大する。」と述べられた。まさに、今の首都ティンプーを想起しておられたかのような言葉だ。「我が国民の良識を信じる。」と語られ、導入となった衛星テレビ、インターネット。それらがもたらす莫大な情報量が、どういった影響を与えたか。今ブータンに生きる人々はこの国始まって以来の、外界からの多種多様な情報にさらされている世代なのだ。そして残念なことに、ブータン人にはまだこういった情報を、取捨選択する能力が開発されていない。まさに、ここにブータンの現在の苦悩がある。

<GNH という概念によって不幸せを自覚していくブータン人>

 12月になって、ティンプー市内には親戚を訪ねてきた地方の人たちが目立つようになった。明らかに首都生活者でないことが見分けられるという現実は、何を示しているか。電気店で遠慮がちに山と詰まれた輸入電化製品を遠巻きにする彼らは、つい7年前の私の家族の姿だ。家族がこの7年間に手に入れたもの。乗用車、フラットテレビ、マルチビデオデッキ、DVD/CDV/CD プレーヤー、冷蔵庫、新型保温炊飯器、湯沸かし器、洗濯機(この7 年で二層式から全自動へと変わった)、電気調理鍋、掃除機、夫婦一台ずつの携帯電話、子どものための自転車、そして首都郊外の猫の額ほどの土地。だけど、まだまだ足りない。まだまだ十分ではない。

 水道をひねれば水が出るのが当たり前。毎日、温水でシャンプーするのが当たり前。真実なにが美しいのかさえ、今の首都ティンプーは見失いつつある。日本が来た道、ブータンが行く道。
 GNH はわざわざ言葉にして概念化する必要もなく、昔からブータンに存在したのだとある政府高官は語った。

 さて、GNH が世に出、「世界で一番幸せな国」などという枕詞がブータン紹介に必ずつくようになり、自分が「幸せですか?」と面と向って尋ねられて初めて、ブータン人は自己の置かれた状況を振り返ることになる。そんなことを考えずに暮すことのできた時代は、すでに終わりを告げた。

 2001年7月にNHK にて放送された「地球家族」の取材の際、日本語通訳である夫はその仕事の難しさに苦りきっていた。『単純に「あなたは今幸せですか?」とその通りの言葉・単語を使って聞いて、その質問の意図を即座に理解できるブータン人は、ほとんどいない。そういう人達は、かなり恵まれた生活・外の世界での教育を知っている人だと思う。村の人には「幸せ」という単語はそのまま通じないんだよ。「家族は元気ですか。」とか「心配はないですか。」「よい暮らしですか。」とか「家畜は元気ですか。」と「農作物はどうですか。」とか、噛み砕いて質問しないと、ただ『Are you happy?』って聞いたって、わかってもらえないんだよ。で、そういう状況だっていうことを取材チームの人にわかってもらうことが、また難しくてホントに大変なんだ。』

 

文責 青木薫

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