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「姉歯氏」の責任についての一考察
「私が言える立場でもないのですが、もっと建築構造の審査システムを厳しくすべきです」これは概ね先日の国会答弁で渦中の姉歯元建築士が述べた言葉である。この無神経さには怒りを隠しえないが、この一連の姉歯氏が関わった問題の本質を考察してみよう。
「会社員である前にプロであれ」これは筆者が10数年所属していた建設会社で耳にたこが出来るくらい聞かされた言葉である。「もしプロとして考えて俺の考えが間違っていたら言ってこい」当時の上司にこう仕込まれたのが今の筆者の仕事に対する基本的スタンスを形成している。
確かに氏の発言にも一利無いわけではない。筆者にとっても驚きだったのは姉歯氏いわく「民間の建築審査会社は建築構造計算を見ないで申請を受理している」と言う事が行われていたらしい点である。建築物は確認申請を担当地域の役所に申請し、それを受理され、承認された時点で工事の着手が行われる。つまり役所の審査を通過しないと建築工事は着工できないのである。簡単に言えば審査の過程で「これは計算間違いですよ」と言われれば申請は通過せず、このような一連の建物は建たなかったのである。
今は建設業のみならず日本の産業が過渡期にある。日本の人口の減少傾向が数字的にも証明された現在では、将来の消費拡大は望めない。企業は薄利多売の戦略をいつまでも取っていては日本のマーケットでは勝負できなくなってしまう。しかしあせることは無く、プロが世界に誇る日本の技術屋集団が、プロとしての自覚を持ってプロの仕事をすれば自ずと「顧客と売主との信頼関係」は再び構築されるであろう。 姉歯氏の件は建設に携わったものとして他人事ではないと感じる。プロとは何なのか、国からプロとして免許をもらうことをもう一度考え直す時期に来ているのかもしれない。プロがプロである社会は信頼に基づいた行動を起こせるのである。
文責 平山修一 |
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