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『ブータンの仏教とGNH』GNH誕生の背景

 2005年3月ブータン王国初となる憲法の草案が公布された。その中には小国にとってはナショナリズムの喪失にも繋がりかねない「信教の自由」についての条項が含まれておりブータン国内では未だ賛否両論の声を耳にする。この条項に準ずれば大乗仏教を国教とする国が地球上で全て無くなったとも解釈出来るのである。しかしそのような解釈があったとしても依然としてブータンの政治・文化が大乗仏教という哲学の影響を背景に発展し続けることに疑いの余地はない。そして、そのブータン王国にて提唱されたGNH誕生の背景を考慮するにあたって建国当初から今日に至るまで政策や文化に大きな影響を与え続けてきた大乗仏教の影響があることは当然と考えるのが自然であろう。

 90年代の日本においては多くの新興宗教によるトラブルが相次いだ。日本国民の中に宗教に対する不信感というものが強く根付いた感がある。それがここ数年「団体」としての宗教ではなく「学術」として、その哲学性が高く評価されている。日本では後進的な思想ともとられ兼ねない仏教であったが今日各分野の最先端で扱われる機会も多くなっている。『仏教・開発・NGO―タイ開発僧に学ぶ共生の智慧』(西川潤・野田真理篇)等がそのひとつの例であろう。また大型書店を見まわすと以前では奥まった片隅に置かれていた宗教書のコーナーも最近では日の当たる場所へと移され毎年ベストセラーまで登場している。バブルという経済的繁栄を見た後に起こった不況という挫折の中で生まれた「不安」や「孤独感」がそういった社会現象を生んでいると考える。そう言う著者も治療という医療者としての経験を通して仏教という哲学に興味を抱きブータンに足を踏み入れている一人でもある(※)。本の話に戻るが今年出版された書籍の中に今枝由郎氏の『ブータン仏教から見た日本仏教』(HNKブックス)がある。氏は80年代というブータンが目覚ましい発展を遂げる時期にブータン国立図書館顧問として10年間滞在した。またフランス籍をもつ氏の立場から公平な視点で日本とブータンの仏教に関する研究を紹介している。参考までにと目を通した次第であるが多くの部分において本稿にて著者が述べたかった事柄を氏の半生に渡る研究と体験を交えて分かりやすい形で表現されておりGNHの研究を語る上での貴重な序言としてその中の一部を引用させて頂く。

 まずは「仏教」を理解する中で、統計においては人口の70%が仏教徒であるという我が日本ではあるが、ブータンの大乗仏教とは同じ仏教と言ってもその形態や温度差にはかなりの違いがある。紀元前5世紀に実在のブッダという人物がインドで興こした仏教は各国の文化や習慣を吸収しながら大きな変容を遂げ6世紀の日本に伝来した。本書の中でも玄侑宋久氏の言葉を引用しオリジナルの仏教に対する「奇形」という言葉で日本の仏教を位置付けている。慈愛に満ちた日本の仏像の趣に慣れ親しんだ日本人観光客がブータンの寺院を訪れその恐ろしい形相の仏画達に衝撃を覚えるのは仕方のないことであろう。一方インドにおいてオリジナルと呼べる仏教は大乗と小乗(大座部)とに思想を分かつ中、イスラム教の侵攻によりその本拠地をチベット圏に移した。より洗練され大衆化された大乗仏教は今世紀に入り中国のチベット侵攻とシッキム王朝の滅亡を期に、結果としてブータン王国のみが国教として扱うに至ったのである。

仏教の変容
 GNHの増大を語る上では「個人」の成長と「全体」の成長、両者のウエイトについての検討は必要である。まさに「卵が先か鶏が先か」的な考えではあるが、同じ葛藤は仏教という哲学の歴史の中でも起こってきた。仏教の開祖ブッダが直接に民衆に説いたことは、どちらかというと個人の確立の方に重点があり個人の問題に偏っていたと言える。それを補うためにブッダ入滅後、その後継者達は独自にその穴を埋める作業を行っていった。ブッダの教義を忠実に実践し「個人」の完成を主張する姿勢を保守する動きは現在のスリランカやタイを中心とした南伝仏教(上座部仏教・小乗仏教)となり、後者の在家信者の救済を中心とした「全体」の成長を目指した研究はチベットを中心として発展していく大乗仏教となった。さらに大乗仏教の中でもその体系がさらに洗練され今日における最終形態とも言えるものが金剛乗仏教であり日本においては空海がその発展段階のものを修得し密教として伝播した。小乗(上座部)仏教と大乗仏教、そして金剛乗の比較については前掲書(170頁)に分かりやすい例えについての記載がなされておりそのままを引用する。
 人は、路道を歩いていて、毒花を見つけた者と同じ状況にある。
 普通の人は、その鼻の知ると香りは、無知、欲望、怒りという三毒のエキスであるから、致命的であることを知っていても、花はあまりにも美しく香りがいいので、魅了され、それを手にする。その結果、輪廻の世界(サムサーラ)から逃れられない。

 小乗の就業者は危険を知って、花を摘まずに通り過ぎる。規律(ヴィナヤ)と根本的な教え(スートラ=経)のおかげで、彼はあらゆる苦しみを逃れた境地(ニルヴァーナ=涅槃)に至る。
 大乗の修業者は小乗の修業者と同じく、危険を知っている。しかし彼は利他主義者なので、花を切って、道行く人にそれが毒であると説明する。彼は、自分一人苦しみから逃れるのを拒否し、生を繰り返し繰り返し、すべての人のために努める。彼は菩薩である。しかし毒花はまた咲くので、これでは不充分である。

 ここに金剛乗の修業者が登場する。彼も危険を知っており、彼も利他主義者である。しかし彼は、密教教典(タントラ)で毒を霊薬に変える技術を身につけている。彼は花を根ごと食べるが、毒されはしない。こうして花はもう咲かない。
 (今枝由郎訳『チベット史』春秋社2005年刊行予定)
 金剛乗に関する解釈としては当に南方曼陀羅(中沢新一『南方マンダラ』河出文庫 1991)の思想に出てくる「不思議」という言葉を彷彿させ難解さを深めてしまいかねないが、この中で注目したいのは開祖ブッダが興した「仏教」が歴史と共に形を変えながら進化を遂げてきた点である。ブッダが唱えたエキスとも呼べる哲学は忘れられることなく後継者達によって新たなる長い研究と実践がなされてきた。前掲書(180頁)ではGNHの提唱者であるブータン国王への2004年7月における著者の興味深いインタビューについての記載がされている。以下は国王の言葉である。
 『自分が提唱したことになっているこの標語が、色々な方面から注目されはじめたのは嬉しいが、一人歩きをしている感じもする(中略)幸福(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、政府の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ「充足(contentedness)」である。それは、ある目的に向かって努力するとき、そしてそれが達成されたときに、誰もが感じることである。この充足感をもてることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。』

 提唱者の発言なだけに「GNH」が「GNC」になるかどうかは別としてGNHの研究がより深遠な可能性を秘めていることを予感させる。仏教の歴史の中で竜樹が唱えた「空」の思想がその後の仏教体系に大きな影響を与えたがごとくGNH研究に於いても常に新しい思想の風を吹き込む挑戦は必要であると思う。ブッダは教えの中で次のように述べた。「あなたが実践を通す中で私の教えが誤っていると思ったならば、その教えは信じるべきではない」と。仏教もまた2000年以上の研究を経た今も、まだその完成には至っていないのである。

GNHの誕生
 リチャード・トムキンス氏は「富が一定のレベルに達すると、国内総生産の増加は、人間のいっそうの幸福をもたらしはしない」と「国民総幸福量」に関して論述している(前掲書181頁 イギリス「ファイナンシャル・タイムズ」紙からの引用)。我々は一定の富を得たときその「儚さ」や「空しさ」から富以外のものを求めるようになる。GNHが先進国の間で注目されはじめたのはこのためであろう。しかしトムキンス氏の言葉を逆説的にとれば一定のレベルまでは富が幸福をもたらしうるということが言える。実際に「国民総幸福量世界一」を誇るブータンで生活をしていると在家信者である人々の中で富を放棄している人々は我々日本人に同じく皆無に思え、富がもたらす幸福を享受していると感じる。しかし我々と異なる点は仏教への信仰が深く、余分なお金を寺院などに寄付するといった習慣があり、その行為自身にすでに富に溺れないための抑制力があるようにも感じる。同じ欲望という種を持つ人間であるにも関わらず、我々の尺度において豊かな社会に達する以前に富による副作用を既に予見しGNHという思想を政策にまで押し進めてきた原動力には根底を流れる仏教という宗教的価値観があってこそ為し得たのではないかと強く感じさせられるのである。

GNHを学ぶと言うこと
 著者の職場であるブータン伝統医学院の調剤工場にブータンを養老猛士氏が訪れたときの話。36種類の原料を使う温浴剤の説明をしていた折「中国の漢方薬についても色々と余計なものを混ぜる必要がある」という事を氏は述べられた。長い歴史を持つ漢方調剤法には「君・臣・佐・使の原則」というものがあり各々の個性ある原料が互いに補ったり抑えたりする中でひとつの漢方薬となる。また煎じる時に薬効以外のさまざまな成分が溶け出したものが本来の完成品であり、一方現在市販されている漢方エキス剤は薬効部分だけを取り出したものである。ここで何を述べたいかというと、ブータンにおける仏教社会をこの話に垣間見るのである。今枝氏が賞賛するように確かに聡明な学僧と呼ばれる修行僧達が多く存在しその真摯な態度は尊敬に値する。しかし氏がブータンに長い期間滞在する中で本文中には記されていないが期待に反し他力本願とみうけられる在家信者の多さにも驚きを隠せないのも事実である。そこには多くの文化がそうであるように、まず軸となる真理があり、方向性は同じにしても、それとは異なる多くのものとが複雑に入り組む中でひとつの完成された物が存在している。GNHはそのような長い月日を費やして作り出された土壌の上に存在する。日本には顕教といわれる文章化された仏教、すなわち仏教のエキスだけが存在しているように思われる。同じ仏教と言ってもその部分的な考察だけを扱う中でGNHの誕生のプロセスを探ろうとするのはあまりにも浅はかである。インド最大級の仏教寺院のあるマイスールにおいて元ケンポ(指導僧)を勤め、現在ケンブリッジ大学にて研究員を勤めるブータン出身のカルマ・プンツォは「現在のGNHでは社会の発展は不可能だ」と冷ややかなコメントを述べた。彼自身GNHが仏教をベースとして誕生したという解釈の上で話したことであるが、それだけ仏教という哲学が深遠であり、現時点におけるGNHへの期待度に対して研究があまりにも未熟であることを指摘されたまでである。
 ノーベル平和賞を受賞したダライラマ13世は『幸福と平和への助言』の中で「非宗教的精神性」という宗教の枠や文化の枠を越えた新たな宗教の方向性について唱えている(前掲書207頁)。GNHは東洋の仏教哲学を背景に誕生し今、西洋の学問から迎え入れられようとしている。すでに文化の多様化という壁を人間の普遍的な精神部分においてひとまとめにするといった可能性を十分に秘めており「文化・宗教」の枠をこえた今後の各分野における深い探求が期待される。

 

文責 高田忠典

参考文献 今枝由郎『ブータン仏教から見た日本仏教』 HNKブックス 2005年

※GNH研究所の個人もしくは研究員はいかなる宗教団体の意見に基づくものではない。ここで述べる「宗教」については公正な学問の視野から分析を試みたものである。

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