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日本向けGNH 武士道より「誠」

 携帯電話が全盛となった今の世の中,人との待ち合わせは昔に比べて物凄くいい加減になったと筆者自身を含めて思う。ブータン王国にいる時は携帯電話を持っていない相手との待ち合わせも多かったので“何時に何処で”と,より具体的に話し合っていた。しかし帰国して暫く経った今,“何時頃に何処の辺りで”と曖昧な約束が多くなった。更に曖昧な約束に輪を掛けるように約束の時間に遅れそうになれば電話一本“ちょっと遅れる”と約束の変更は容易に出来てしまう。個人レベルでの約束は確実に緩くなってしまったと思う。社会でも“公約は○○です”と言って立候補して当選した候補も,気付けば選挙公約とは正反対のことを行ったりしている。過去に然諾を重んじていた国民性は何処へ行ってしまったのだろうか。

 我々が一般的に“武士に二言はない”と聞くように,武士が一度言ったことは証文に頼るまでもなく間違いなく履行されていた様だ。『武士は然諾を重んじ,その約束は一般に証文によらずして結ばれかつ履行せられた。~中略~「二言」すなわち二枚舌をば,死によって償いたる多くの物語が伝わっている(新渡戸稲造著(1899),矢内原忠雄訳(1938) 武士道 岩波文庫より一部引用)』とある通り,当時はわざわざ“選挙公約”等と持ち出すまでもなく確実に履行されていたであろう。

 高田忠典がコラム『「期待」と「限界効用」で作るGNH』の中で書いている様に,依然として現代ブータンでは社会の様々なことに対して大きな期待は抱けない。インフラ整備途上,経済システム発展途上等の理由があるからであろう。ブータン人が社会に大きな不満を感じないのは,期待を必要以上に抱けない社会の中で少ない期待以上の結果を多くのことで得ているからであろう。同じように江戸時代社会はまだまだ日本も発展途上にあっただろう。現代ブータンと同じように社会の様々なことに対して必要以上の期待は抱けなかったはずだ。しかしそんな中でも「武士道」を読む限り,武士は期待を裏切らないような行動をしていたのであろう。社会の多くの事が自然の影響を受けやすい環境にも関わらず,武士との約束は確実に履行されるので民衆の武士に対する満足度が相対的に高かったのではなかろうか。

 現在においても注文した品物に対して間違った物が納品にされれば問題となる。しかし,きちんとした取引を続けていけばそれは信用となり,継続的な取引へと繋がっていく。ネットにて多くの買い物を済ませることが出来る現代においても,一度利用したサイトを2度3度と利用することが多いのではなかろうか。もちろん「安心」という理由もあるかと思うが,その安心の背景には「信用」もあるはずである。既に我々の中では忘れてしまったと思いがちの“正直”というもの。以外と身近に残っており,それが持続的な良い関係を築く為に欠かせなかったりする。我々の中に眠っていると思われるこの「誠」の精神,今一度見つめ直し,呼び覚ましたい。

 

文責 瀬畑陽介

参考文献 新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年

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