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肥満についておもうこと(その2:国による肥満者層の違い)

 前回のコラムでは健康面とその価値観の変化について書いたが、現代の肥満はその国や社会の状況によって一概に「太っている=経済力」とはならない。太っていることは経済的なゆとりがもたらす余剰的な意味合いは必ずしも世界の常識ではない。

 アメリカ国民の6割が何らかの肥満傾向があり、2割の人が余分な脂肪の為に寿命を縮める可能性がある「肥満体」で、「病的な肥満」にあたるアメリカ人は500万人を超えるとある雑誌に記載されていた。
 その一番大きな理由は高カロリー食の価格が安くなったことと労働形態の変化である。本来労働はカロリーを消費するものだが、デスクワークが多い現在ではカロリーは消費されず蓄積傾向にある。
 こう書くと肥満はホワイトカラーだけの問題のように思えるが実際は夫婦共働きの労働者層にも肥満傾向は多く存在する。その理由として共働きの一番の欠点は食事を家で作る時間が少ないことにある。そこで食事を作らずに多くのレトルト食品、ファーストフード、外食産業にその食を依存する傾向がある。
 特にそれらの食品は摂取量に対してカロリーが高いことから、自炊した通常の食事よりも多くのカロリーをとってしまう事につながる。調理の過程でチェックできる油や塩、バター、砂糖などの量が外食ではチェックできないからである。外食産業が作り出す食事が生産者にとっては「利潤を生み出すもの」、消費者にとっては「生きるために摂取するもの」といったように目的が違うからである。この歩みよりが無い限りこの傾向は変わらない。
味が単調なそれらの食品は過食をする傾向があるという。味に変化が無いから食の欲求は量に向けられ、少しでも毛色の変わった物へと趣向が変わる。それは日本のコンビニの菓子やデザート系が数ヶ月単位で新製品を出し続ける理由のひとつであろう。このような理由により低所得者層の間にも肥満傾向が見受けられる。

 肥満は何も先進国だけの問題ではない。筆者の現在活動しているタイにおいては非常に太った人を多く見かける。これはタイのみならず途上国から中心国になる過程の国々、例えばインドネシア、モンゴルなどなど様々な国でも同様の状態にある。
 ただ先進国の肥満と中心国や途上国の肥満とはその層に多少違いがあるように思える。先進国になるほど貧しい層に肥満傾向があり、中進国や途上国では中流の人々に肥満で苦しむ人が多い傾向があると筆者は推測している。途上国や中進国での貧困層の購買力はまだその現金収入自体が少ない為、外食は難しいからである。

 筆者がタイに赴任した際に、JICAの健康管理の担当の方から「巨大化しやすいので気をつけて」とのアドヴァイスをされるほどタイは食へのアクセスが容易である。10~20バーツ(約27~42円)もあれば焼き鳥や揚げ菓子のみならずアイスクリームやタイ式ラーメンから選んで食べられる。
 しかもどの道端にも大抵はこの手の屋台が氾濫しており、食べる場所を探すのには苦労は無い。これは元来の外食文化を持つタイならではである。また多くの場所ではコンビニも町のあちらこちらにあるので24時間何か食べることが出来る環境にある。まさに小銭があればいつでも栄養補給できる環境にあるのである。

 今のタイの経済復興はめまぐるしい。都市部に限れば、多くの庶民が中流層を形成し、消費文化を享受している人が都会では多い。それは同時に、中流層がマスコミによる宣伝効果によってある種の洗脳を受け、大量消費へとその思考が移りつつある事をも意味している。
 朝からコーラを飲みながらハンバーガーを食べている同僚がいる。彼にとって24時間買うことが出来るハンバーガーはアクセスしやすい食べ物らしい。この国ではハンバーガーは高級な食べ物である。彼のような人がいる反面、その日の食料にもありつけない人々がこの国には大量に存在している。

 

文責 平山修一

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