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肥満についておもうこと(その1:価値観の変化)

 唐突ではあるが、筆者と会う人は必ず「大きい人ですねえ」とか「体格がいいですね」と言う。当然といえば言われて当然の体格なので否定するつもりも無いが、口の悪い人に至っては「悩みやストレスが無くていいですね」と言ってくる。
 現代社会の常識として、人間にはストレスによって痩せやすい人と太りやすい人の2タイプある事が確認されている。つまり太っていることは「ストレスを感じていない」事とはイコールではない。

 確かに私は太っている。だが病的な太り方ではないと自覚している。下腹はあまり出ていないし、首周りもいわゆる猪の首状態ではない。しかし、若くて痩せている頃に比べて体が動きにくくなっていることは確かである。腰周りもLove handleがしっかりとついている。とても褒められた体型ではない。。
 今の日本では肥満=悪い事という感覚が社会常識となっている。日本の中世を振り返ってみると紫式部は下膨れ顔の「ふくよかな」美人として描かれている。かの時代には「ふくよか」という表現が示すように、肥満は悪ではなかったと推測できる。

 少し前の途上国では肥満は憧れですらあった。インドでは今でも太っている=お金持ち=あこがれると言った図式が成り立っている。女性のサリーからはみ出した下腹の贅肉は隠すものではなく「見せ付けるもの」ですらあった。確かにインドの貧乏な人は一日の摂取カロリーが低く、生命維持すら大変な状況下にある。そんな中で太れるのは豊かな証拠である。
 インドでは物の値段も肥満度によって変わってくると言う。筆者も実際体験したのだが、太っていると値段交渉の際に値引きの幅が少ないのである。「何故もっと値引いてくれないの」と聞く筆者に「太っている人はお金持ちだ。太っている人から多くお金をもらうのは当然だ」と。

 筆者が先日までいたモンゴルでも大きく太っている事は異性にもてる第一条件であった。近年の相撲ブームが追い風になっていると言う。生存環境が厳しかった時代には太っていることは相対的にその個体の生存能力が高いことを示していたのであろう。
 しかし、モンゴルでもここ数年そういった価値観に変化が生まれ始めているという。「今の女子大生は太った人は嫌い。だってかっこ悪いんだもの」確実にそう考える世代が生まれつつある。これは観念的なコメントだが果たして論理的ではないのであろうか?

 とある雑誌の記事に「アメリカでは肥満は出世の妨げになる。その理由として肥満状態の人は自己節制が出来ない人である」とあったのは約10数年前の話である。この頃から公式にネガティブなイメージが付いて来たのではないかと考えられる。
 現代医学の健康度を表すひとつの指標としてBMIがある。この体重÷身長÷身長という値で表されるものは現在太りすぎかどうかの指針として重宝がられている。確かにこの方法を使うと、健康である=太っていない=死亡リスクが少ない、という選別がしやすい。

 拡大解釈をすれば、肥満でないことを良しと考える傾向は、動物としての人間の本能的な感なのかも知れない。肥満は遺伝的要素が在る事と、肥満者の健康に関するリスク、肥満者は個体として生存確率が低くなるとすれば現代女性の肥満者に対する風当たりは納得できるのだが。。。
 先述のモンゴル人女性のコメントも直感的に現代における肥満は自分のパートナーの生存リスクが低いとみなしているのかもしれない。女性の直感や感性ほど鋭いものはこの世に無いと筆者は感じているのである。

 

文責 平山修一

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