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民族問題と「国民総幸福量(GNH)」

 500万人とも言われるイスラム系移民を抱えるフランス国内各地で暴動が起きている。仏政府はついに1961年以来の非常事態宣言の発令を余儀なくされた。
 日頃から東ティモールの独立問題、ルワンダ、コソボ自治州…と世界中で起きている惨事をニュースで耳にする機会は多い。しかし今回のフランスのように思い立ったら旅行ができるような身近な国でおこる事件には同じ事態の重さを自覚しながらも、つい目を惹かれてしまう。それでも外国の話であり無関心でいられるというが大方の意見ではないかと思う。中曽根元首相が現職時代「日本単一民族国家」と発言するほど大和民族一色の日本人にとって民族問題への意識が低くなるのは当然の事であろう。
 GNH研究は国民すべてに対する幸福の享受に貢献していくものでなければならない。

 アフリカでは50カ国のうち3分の1の国が武力紛争を抱えているという。世界中の多くの国々が2つ以上の民族を抱えている。GNHを提唱するブータン王国もそのひとつである。ブータン国内で住民を大きく分けると4つのグループに分けられる。第1には現王朝を含むチベット系ンガロンと呼ばれるグループ、第2にンガロンが移住する前から東ブータンを中心に住んでいたと考えられているシャーショップと呼ばれる人々を中心としたグループ。第3には北部山岳地帯でヤクなどの遊牧生活をするドロッパ、レプチャ、ドヤ、と呼ばれるグループ。そして第4には南平野部を中心に生活するネパール系ブータン人達である。本国ネパールの人口増加に伴いシッキムやブータンの領地内に移住してきたと思われ17世紀後半にチベットから移住し現勢力となっているンガロンの人々から見れば新参者と主張されるであろう。南部に生活の拠点をおいたネパールからの移住者達は、湿度と高温を嫌う他の山岳民族とは長きに渡り棲み分けがなされ大きな衝突も起こらなかったようである。しかし90年代に入り南部各地で政府とネパール系住民との間に小競り合いが多発し南部住民の中から多くの難民が生まれる事態が起こった。この背景には、1988年の国勢調査でンガロンの総人口比の低下が明らかとなり1975年に起こった隣国シッキム王国の滅亡を想起させるに至った事。この時期にネパールの民主政権が誕生し政府が行ってきた文化保護政策に対し異なった文化を持つネパール系住民の不満が民主化の運動に繋がった事、などが挙げられている。このブータンの事件から学ぶべき反省点は政府の危機管理である。現在の日本にも多くを学ぶ必要がある。もし今北朝鮮が崩壊し10万人もの難民があなたの町にもやって来たらどうするか。または、人口の減少に伴い労働者不足の進む過疎地が移民者達で埋まる光景が未来に起こっても不思議ではない。その中で言葉の話せない移民者達は失業に苦しみ治安は悪化していく。こういった安全保障についてのシミュレーションは今のところ政府内で協議されていない。「単一民族国家」とも言える我が国もそう遠くない過去には民族問題を経験している。約100年以上遡れば今の北海道に住んでいたアイヌ民族に対し保護運動と唱し同化政策をとってきた。アイヌの人々に対し「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考えた向きは現在先進国が途上国に対する援助の仕方に対する批判または中国がチベット自治区に対して行っている政策となんら変わりはない。また1960年代初頭には戦後の日本で民族差別と貧困に喘ぐ10万人近くの在日朝鮮人が日本を後にした。歴史を見れば人類は本能的に「平和」の獲得のために活動する生き物ではない。時として自分の「場」を守るためには環境を共にする人々と決起して血を流す事をもいとわない。そのような本能的な行動を抑制するためにも政府の危機管理に期待する。また、このような問題背景を相対的に観察した時、必ずしもどちらが「悪者」と判断する事はできないのである。それでは我々には何が出来るのであろうか。

 ブータンでは1994年3月ブータン国王はネパールに向かう住民に対し「国を去らないように訴える」国王勅令を発令した。政府の対応に不満をもつネパール系ブータン人もこの国王の発言に対し賞賛の言葉を挙げている。異なった文化・宗教・言語を持つ2つの民族は文化の多様性と競争によって国に豊かさをもたらす可能性をもつ。しかし民族結合の道での成功を現時点において見る事は出来ない。いかなる政策にも混乱の種が潜んでいる。繋ぎ止めるのは「心」である。

 今後GNH研究が日本国内で盛んに行われるていく中で、もしも民族問題を取り上げる事なく結論を出していく物だとしたならば、それは民族浄化の行われた後の国に築かれる一部の人間だけの「幸福論」でしかない。

 

文責 高田忠典

参考文献 『ブータンの政治』レオ・E・ローズ著 山本真弓監訳 乾有恒訳 明石書店、2001年
『ブータン王国の新発展型の研究』平山修一 早稲田大学院アジア太平洋研究科修士論文、2002年
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