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選挙から見える社会の変遷

 先日9月11日に行われた衆議院議員総選挙は歴史的な自民党圧勝という結果となった。筆者はこの結果はある程度予想されたものだと考えているが、自民党自体は『予想もしていなかった』らしい。
 郵政民営化という明確な目標一本を掲げた自民党に対して、本来は民営化の立場を取っていながら闇雲に戦略無き反対をしていると国民に受け止められた民主党は戦略的に失敗した。得票率はある程度確保していながら、当選まで一歩及ばなかったのは、話題性やその政策の明確さに欠けていたからだとの論評が目立つ。

 筆者が今回の選挙で以外に思ったことが一点ある。それはいわゆる今回の選挙民の投票の動向の中に日本人的な要素が薄くなった印象を持つからである。筆者が考える日本人的要素は「判官ひいき」、「地元意識」である。
 従来の小選挙区選挙と言えば、地元出身の人を選挙で選び、地元の発展の為に国益を誘導してもらうという色合いが少なからずあったかと考えている。地縁は一番の候補者の資質でもあった。
 しかし、今回の選挙ではその地元出身ではない候補者を自民党はあえて多数擁立し、多くの候補者が当選した。これは何を示しているのであろうか?

 産経新聞「断」の中で評論家の宮崎哲弥氏が今回の選挙について以下のように述べている。「自民党は郵政造反組を排除することによって、その軸足を新自由主義の方向に大きく移動させた。伝統的な社会共同体重視の保守主義から、アメリカ共和党的な個人の自律と市場競争を最重視する社会哲学にシフトしたといってよい」。
 つまり今回の選挙は単なる郵政民営化に賛成か反対かを問うだけではなく、国会議員の在り方を改革する選挙でもあった。いわゆる地元利益誘導の政治家を選ぶのか、国策に対する審判を国民が下すのか、この国民の意識の変革であったと考えている。

 何事にもバランスが必要であるとGNH思想は説いているが、まさに保守主義と個人主義とはバランスが必要である。選挙においてこの個人主義的要素が多く見受けられた今回の選挙は、国民が政治に大いに関心を示している証拠でもあり、「市民」として成熟しつつある状態をも表している。
 反面、地元を重視した政治家の当選も多いことからまだまだ保守傾向の強い場所が日本に多いことも見て取れる。単純に都会Vs田舎とは考えにくい状況になっている。

 選挙後に「自民党に勝たせすぎたと考えている国民は多い」という論評を耳にするが、それこそ国民が冷静な判断をしている証拠ではないであろうか。自律意識の表れであろう。だから国民を非難するような論評は筋違いである。日本国民はそこまで馬鹿ではない。

 

文責 平山修一

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