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日本人の「平和」とGNH

 国の「幸福」を表す指標のひとつに平和であるという状態が挙げられる。日本国憲法はその前文で4度この言葉を繰り返し、第9条にはその手段を示し、ついでノーベル平和賞まで受賞した世界に誇る平和憲法である。また日本以外で軍隊を放棄する平和憲法を持つ国としては中米のコスタリカとその隣国パナマが憲法で軍隊の放棄すなわち暴力の放棄を宣言している。スイスの強力な軍事力を背景にした永世中立と比較すれば、国の軍隊放棄はインドのマハトマ・ガンディー、ロシアの思想家トルストイが主唱した「無抵抗主義」を想起させるものだ。

「暴力の放棄」
 それぞれの平和国家が持つ戦闘員の数に目を向ける。イラクへの自衛隊派遣を巡り熱い論議を繰り広げている日本では防衛のための最低の軍備を保有する名目で24万人の自衛隊を保持している。中米ではコスタリカで8,400人の総治安兵力、パナマにおいては1万3400人からなる軽武装の国家保安隊(中米6カ国で第3位と第4位の軍備力)を保有している。ちなみに永世中立を唱えるスイスでは戦時動員数において22万人といずれの国も人口比で考えた時非常時に向け万全の戦闘態勢があると考えてよい。とても暴力を破棄したとは言い難い状況である。次に軍の放棄や中立に至った経緯に目を向ける。ここで中米のコスタリカとパナマ、西欧におけるスイスの所在を世界地図の中で探してみて欲しい。いずれも隣国の狭間で「背水の陣」という言葉につきる。列強国を相手にしてきたスイスの歴史を尋ねればおのずと「中立」の合意が最も国を安定させるカードと言えるし、それに比較すれば歴史の浅い中米のコスタリカとパナマでは未だ安定しない経済、内乱の恐れとアメリカの干渉の中で軍隊の放棄が歴史の中で起こったベストの選択ともいえるであろう。何れの国も積極的外交手段として中立や軍隊の放棄を決定しており、一連の行動は国民に示す唯一の「保険」であったとも考えられる。

「日本の平和」
 これらの国に比べると日本に於いての軍の放棄はただ一度の戦争の大敗を起源としている。国内では大きな民族・宗教的軋轢もない。海洋という天然の要塞に守られており陸続きの国境を持たない。日本人にとって一度の大敗は「戦争だけはもうこりごりだ」と思わせるのに十分な出来事であり日本国憲法の前文にもその強い平和への追求が伺える。今年日本は終戦60年を迎え戦争を記憶する国民の高齢化が進む。長崎に生まれ被爆者を身内に持つ著者の両親も8月9日の原爆記念日には毎年献花を行ってきた。訪れる人達や記念式典も年々慰霊というよりもイベント的な要素が強くなってきていることを指摘する。確かに戦争を体験していない戦後世代の若者にしてみれば「何で外国は戦争ばっかりしているのだろう?」というように平和への思いが今ひとつ実感できない。長崎の学校を出たが原爆資料館を訪れた以外に印象に残る平和教育を受けた記憶がない。世界の歴史の中で戦争が無かった国はないワケだが日本は唯一の被爆国でありその経験の伝承は人類としての義務である。

「平和維持」
 コスタリカでは軍隊を廃棄したその分の予算を教育費に当てているとしている。平和教育もその中で積極的にとり行われている。それに比べると日本では戦争に目を向けず戦争を語らない事が平和へのアプローチとしている傾向が強く見られる。「競争のある運動会は廃止しましょう。」などと教育界では本気で議論されている程だ。戦闘力の維持が現時点における平和国家を維持する条件の1つである事実は前に述べた各平和国家の軍事力の比較からも否定できない。事実から目をそらさず、正しい判断を養う教育が急務である。日本政府は太平洋・アジア地域における第2次大戦中の研究と今後の近隣諸国との相互関係改善を積極的に行い平和国家として平和活動におけるイニシアティブを世界に示していく事が望まれる。日本が平和国家であるという指針を示した憲法第9条もまた目に見えない強力な戦力だ。国に軍隊がないというカードはそれだけで世界の軍縮分野における発言力に十分な説得力をもつのである。イラク派遣における自衛隊の一連の行動は緊急時における臨時措置として歴史の中に封印して欲しい。永世中立を掲げるスイスは第2次大戦中ナチスドイツに対する関係において中立違反を指摘され罰金を支払った。また、コスタリカやパナマもアメリカからの援助を受けている事実から国の中立的な立場を疑う指摘もある。それぞれの国にはその時の事情があるものだ。日本の自衛隊派遣について見ても歴史の流れの中でパワーバランスを維持するためのひとつの臨時的手段という見方も出来る。しかしそのためだけに日本が平和国家であるという指針を示した第9条の破棄を進めていくことは国の潜在的戦力の破棄に繋がるとも危惧される。第9条の条文は我が国の平和国家としての「覚悟」をしめしたものであり、ただ一度の過ちで時代の流れに翻弄されないための国家の錨である。


 戦争のない「平和」な社会の創造と努力は、我々が「幸福」な生活をおくっていくための前提条件である。世界有数の平和国家である日本が今一番関心を抱くべき課題ではないかと考える。戦争を知りそして平和を考えさらに伝えていく努力。被爆国日本ができる世界的「幸福」への貢献と言えよう。第2次大戦後に国際関係を中心として起こった平和学の分野が近年環境、人権問題にまでその射程を広げている。国民の幸福を考えるGNH研究も今後その一環に組み込まれていく事であろう。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と平和記念公園の慰霊碑はそう世界に誓っている。

 

文責 高田忠典

参照サイト: 『アジア・アフリカ研究』2002年第2号Vol.42, No.1 (通巻364号)コスタリカ共和国憲法 姫路獨協大学法学部  吉田 稔 訳
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