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日本向けGNH 武士道より(仁)

 先月,青年海外協力隊の任期を終えて日本へ帰国した。空港からのバスが新宿駅に着き,乗客は改札口へと急ぐ。その中で重たいスーツケースを引きずりながら改札口へ向かう女性がいた。階段でスーツケースが壊れそうな程の大きな音を立てていたので手伝うべく声を掛けると“大丈夫です!”とキッパリ。しかし筆者が彼女の脇を通り過ぎた直後に彼女の発した言葉は“○○ちゃん,手伝って~”。親切心で言っても彼女からは“見ず知らずの怪しい人から声を掛けられた”と映ってしまったのだろう。思いやりも,慈しみの心も,哀れみも,親切心の感情を抱いて何かしらの行動に移しても,行動を移された相手にとっては“不安”以外の何物でも無い社会となってしまったようだ。

 思いやり,慈しみの心等を一纏めにして「仁」としよう。これらの心を限られた身内にしか抱けない世の中になっては“一歩外へ出れば他人!私は関係ありません!”の様な考え方となり,ごく限られた小さな社会でしか「仁」が存在出来ない。更に社会に対して,後生に対して各々が広く何かをしようと思わなくなってしまうと筆者は懸念する。

 ブータン王国の現国王,シンゲ・ジグミ・ウォンチュック陛下は国民からの信望が大変篤い。権力を得た者の多くがその権力を行使するのが一般的であろう。しかし,陛下はむしろ自らの権力を放棄するような事を行う。『君主制は一人の人間に権力が集中するわけだから,政治の形態としては最善だとは思わない。~中略~ 私はいかなる政治的変化にも反対しない。もし,変化がブータン国民の一層の幸福につながると納得できれば,反対するどころか積極的に支援するつもりだ。(山本けいこ著「ブータン -雷龍王国への扉」明石書店,2001年より一部引用)』その具体的な一例として,『大臣たちが全責任をもって国政を遂行して欲しい。私は国家主席を返上し,国家元首に専念する。(山本けいこ著「ブータン -雷龍王国への扉」明石書店,2001年より一部引用)』国家安定,国民の為には自らの事よりも,国民を思う慈しみの心からの行動であると思う。

 青年海外協力隊員としてブータン王国へ赴任していた時,がむしゃらになってブータン王国で頑張った。もちろん頑張る事によって筆者自身に金銭的な見返りがあるわけではない。そこにいる筆者の生徒達の為だけに頑張ったと言ってもいいだろう。“自分の持っている知識を少しでも誰かに広めようと頑張っていた”と振り返って思う。これは日本人が根底に持っている“世の為,人の為” といった「仁」に繋がる心ではなかろうか。GNHを国策として掲げるブータン王国の陛下,その行動は武士道の「仁」に通じるものがあると思う。我々のご先祖様が持っていた「仁」の心,今一度思い返すべき時が来ているのでは無かろうか。

 

文責 瀬畑陽介

参照サイト: 新渡戸稲造著,矢内原忠雄訳『武士道』岩波文庫,1938年
山本けいこ著『ブータン -雷龍王国への扉』明石書店,2001年
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