<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>

テレビゲームが流行る背景

 私がコンピュータゲームと始めて出会ったのは小学校4年生の頃であったと記憶している。当時の私にはテレビゲームの機械はとてもじゃないが高くて買えなかった。しかし高校生,大学生、社会人になり,だんだんと自分で自由に使えるお金が増えた頃にはテレビゲームは身近な物となっていた。
 テレビゲームがもはや子供達にとって特別な物でなくなった最近では,「切れる子供達」が多くなったと巷で囁かれるようになった。筆者は思うに果たして子供達が切れるのはゲームのみが直接の原因なのであろうか。テレビゲームという物自体を直接的な理由にするならば、より殺傷能力の高い刀が身近な存在であった江戸時代。子供達は意味もなく刀を振り回して他人を傷つけたり,殺めたりしたであろうか。

 体験を通して言葉を多く習得していないと思われる多くの現代の子供達は,体験と言葉の間の繋がりが薄く,感じた事を全て説明出来ていないのではなかろうか。もちろん我々大人と同じ様に感じてはいるはずである。

 「今の6年生には(中略)1965~6年頃ならふつうの5年生に教えた事を使っています」(ジェーン・ハーリー著,西村耕作・新美明夫編訳『滅びゆく思考力』大修館書店,1992年より一部引用)。つまり一昔前と比べて1,>2歳年長の子供でないと一昔前の子供と同等のコミュニケーションが取れないような事態が実際に発生しているようである。
 自分の感じた事をそのまま言葉で表現出来ないのはストレスとなる。また,使える言葉の幅が狭まれば問題解決能力も低下するのではなかろうか。これらの事は海外旅行などで同様の経験をした人も多いと思う。恥ずかしながら筆者自身もコラムを書く時に伝えたい事を言葉に出来なくて四苦八苦している。
 だとすれば言葉による表現力の低下は現在の子供にとって,より一層ストレスとなるのではなかろうか。表現出来ずにストレスを貯め込めば,それが最終的には行動となって表れるのではなかろうか。つまりは“キレル”。まだ言葉を習得していない赤ちゃんが泣き,ジタバタする様に。端から見ればまだまだ言葉する事によって表現,解決出来る範囲の事柄であっても,現代の子供達にとっては既に範疇を超えているのではなかろうか。

 「生後一年間の脳の発達にとって人との相互的な関わりが重要なことをより詳しく知り始めているのに,現実には子供の脳への働きかけが少なくなってきているのです。(中略)言語の発達や個人の習性や問題解決能力の変容は,青年期にいたるまで大人と子供のかかわりのかたちを変えてしまうような影響を残す」(ジェーン・ハーリー著,西村耕作・新美明夫編訳『滅びゆく思考力』大修館書店,1992年より一部引用)は現代日本でも当てはまる事であろう。これら脳の発達に重要な時期,十分に人との関わりを経験出来なかった子供達,表現力が減って容易に切れてしまう子供達を作っている現代の社会が次世代も発展を続けることが出来るであろうか。次世代を担う子供達は容易に“キレル”様になり,現代の発展に必死になっている社会。その一方,緩やかながらも発展を続け中,家族の繋がりが密で,家族が共に過ごすことを重要視しているブータン王国の社会構造。次世代の子供達をきちんと育てつつも,現代も緩やかながらも発展を続けている。このどちらが今後も持続的に発展をする事が出来るであろうか。

 今後,数回に渡って,今回の内容をより深く掘り下げていきたいと思う。

 

文責 瀬畑陽介

参考文献  ジェーン・ハーリー著,西村耕作・新美明夫編訳 『滅びゆく思考力』大修館書店,1992年

<< 一つ前のコラムへ 次のコラムへ >>